「芭蕉db
(元禄元年12月17日:45歳)
七賢*・四皓*・五老*の□□(二字不明)処、三笑*・寒拾*の契り、皆こころざしの類するものをもて友とす。西行が寂然に親しく*、兼好は頓阿に因む*。これ風雅に類するものか。東野深川の八子、貧に類す*。老杜の貧交の句にならひて、管鮑のまじはり*忘るることなかれ。
雪の夜のたはぶれに題を探りて、「米買」の二字を得たり。
(こめかいに ゆきのふくろや なげずきん)
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投頭巾は、江戸の飴売りなどが頭に着けた帽子。米を買いに行こうと思ったらあいにく雪が降ってきた。この投頭巾をかぶって米買いに行こうか、というのである。「雪」と「行く」をかけて冗談めかした軽快な句。気の置けない八貧なる友人たちを迎えて上機嫌の作者がいる。
ところで、深川の八貧とは、依水<いすい>、苔水<たいすい>、泥芹<でいきん>、路通<ろつう>、曾良<そら>、友五<ゆうご>、夕菊<ゆうぎく>、加えて芭蕉である。「貧」を主題とした句会では、皆がそれぞれ眞木買い、水汲み、めしたき、酒買い、炭買い、茶買い、豆腐買いなどをするという設定で句を詠んだ。芭蕉は米買いが当って、この句を詠んだのである。
深川八貧図
七賢:晋の竹林の七賢人<ちくりんのしちけんじん>。すなわち、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連の七人をさす。
三笑:<さんしょう>。虎渓三笑<こけいさんしょう>晋の恵林寺の僧であった慧遠<えおん>は、一生涯虎渓を越えることをしないと決心していたが、陶淵明<とうえんめい>と陸修静<りくしゅうせい>がやってきたのに同行して夢中で話をしていてうっかり虎渓を渡ってしまった。それを見て三人が大笑いをしたという故事。
兼好は頓阿に因む。:<けんこうはとんあにちなむ>と読む。兼好と頓阿も親しかった、の意。頓阿は兼好と同時代の歌人で二人は和歌の四天王に数えられた。
東野深川の八子、貧に類す。:<とうやふかがわのはっし、ひんにたぐいす>と読む。東野は武蔵野の江戸を指す。深川の八貧は、何を共通点として交友のかてとするかといえば貧乏ということだ、の意。
老杜の貧交の句にならひて、管鮑のまじはり:<ろうとのひんこうのくにひかれて、かんぽうのはじまり>と読む。老杜は、杜甫のこと。その杜甫に『貧交行』という詩がある。斉の宰相であった管中<かんちゅう>は、友人鮑叔牙<ほうしゅくが>が貧困に陥った後も交友を止めなかったという。このように友人が落ちぶれても友情を忘れない交友関係のことを「管鮑の交わり」という。