芭蕉db

菅沼曲水宛書簡

(元禄5年2月18日)

書簡集年表Who'sWho/basho


               二月十八日

 こなたよりも愚墨進覧のところ、そこもとよりも御音問に預かりかたじけなく、御対顔の心地にて拝見仕り候。いよいよ御堅固に御座なされ候旨、千万めでたく存じ奉り候。
 竹助殿
御沙汰、いづれの御状にも仰せ下されず候。御成人わるさ日々につのり申すべくと存じ奉り候。御歳旦三つ物のことは先書につぶさに申し上げ候。愚句御感心のよし、珍碩より告げられ候。年々は口にまかせ心に浮かぶばかりに申し捨て候へども、もはやこれを歳旦の名残にもやなど存じ候て、少しは精を出だし候ところ、御耳にとまり候へば甲斐ある心地せられて、よろこびに堪へず候。
一、幻住庵上葺仰せ付けられ候はんよし、珍重に存じ奉り候。浮世の沙汰少しも遠きはこの山のみと、をりをりの寝ざめ忘れがたく候。露命にかかり候はば、再び薄雪のあけぼのなど存ぜられ候。
一、風雅の道筋、おほかた世上三等に相見え候。点取に昼夜を尽し、勝負を争ひ、道を見ずして走り廻る者あり。かれら風雅のうろたへ者に似申し候へども、点者の妻子腹をふくらかし、店主の金箱を賑はし候へば、ひが事せんにはまさりたるべし。
 また、その身富貴にして、目に立つ慰みは世上をはばかり、人ごと言はんにはしかじと、日夜二巻・三巻点取り、勝ちたる者も誇らず、負けたる者もしひて怒らず、「いざ、ま一巻」など、また取り掛り、線香五分の間に工夫をめぐらし、こと終って即点など興ずる事ども、ひとへに少年の読みがるたに等し。されども、料理をととのへ、酒を飽くまでにして、貧なる者を助け、点者を肥えしむること、これまた道の建立の一筋なるべきか。
△ また、志を勤め情を慰め、あながちに他の是非をとらず、これより実の道にも入るべき器なりなど、はるかに定家の骨をさぐり、西行の筋をたどり、楽天が腸を洗ひ、杜氏が方寸に入るやから、わづかに都鄙かぞへて十の指伏さず。君も則ちこの十の指たるべし。よくよく御つつしみ、御修業ごもつともに存じ奉り候。
一、路通ことは、大坂にて還俗致したるものと推量致し候。その志三年以前より見え来たることに候へば、驚くにたらず候。とても西行・能因がまねは成り申すまじく候へば、平生の人にて御座候。常の人常の事をなすに、何の不審か御座有るべきや。拙者においては、不通仕るまじく候。俗に成りてなりとも、風雅の助けになり候はんは、昔の乞食よりまさり申すべく候。

 江戸橘町の仮寓から、膳所藩重臣で幻住庵主の菅沼曲水に宛てた書簡。同じ日付の『浜田珍碩宛書簡』と内容はほぼ同じ。ただ、点取り俳諧横行の時代の中で、それでも分類すれば上中下三種類の俳人が存在すること、まんざら役に立たないのではなく、それなりの用も足しているとするなどの観察はおもしろい。