芭蕉db

浜田珍碩宛宛書簡

(元禄5年2月18日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 二月三日の貴墨、十五日相達し、年始御ことぶき事ども珍重。いよいよ御眼病快然のよし、さてさて過ぎざることに候。さりながら、春気にはのぼり申す時分にて御座候あひだ、この節、御心にて御養生、食事大喰御用捨なさるべく候。拙者も先づは無事に罷り在り候へども、をりをり持病疝気おとづれ、迷惑致し候へども、臥せり申すほどの事は御座なく候。そこもと三つ物のことは、乙州飛脚の便に書状進じ候。もはや相届き申すべく候へば、ここにて申すまじく候へども、かへすがえす感吟少なからず候。いよいよ御志御失ひなく御つつしみ、御修行ごもつともに存じ候。且つまた、其角三つ物、京・大津驚き入り候よし、大慶に存じ候。もっとも、よく出来候へば、いづれも感心、ことわりと存じ候。
 去来三つ物、ことのほかよろしく、貴様・去来二つにて色をあげ候。愚案手ざはりよく写し候と、別して大悦に存じ候。愚句歳旦、おのおの御褒美のよし、満足せられ候。ここもと門人、いづれもいづれも驚感の旨申し候。そのほかの沙汰、とかく御座無く候。この地、点取俳諧、家々町々に満ち満ち、点者ども忙しがる体に聞え候。その風体は御察しなさるべく候。言へば是非の沙汰に落ち候へば、よろづ聞かぬふりにて罷り在り候。その中に、ひとりまぎれぬ者は、其角ばかりにて候。
   二月十八日              ばせを
  珍碩様
 貞春様御無事の由めでたく、あねご様・林甫丈、御言伝申し上げ候。

 

 元禄5年2月28日、江戸橘町の仮寓から膳所の門人浜田珍碩(洒堂)宛の書簡。この直前に、芭蕉は『栖去の弁』を書いて、江戸に弥漫しているバブル的金銭俳諧の風潮を痛切に批判している。したがって、この書簡もまたそのことに触れざるを得なかった。江戸の退廃ぶりに比して、「軽み」を受け取った上方俳壇は着実に成長しているし、芭蕉の提唱に従って努力していることを喜んでいる。
 この頃から、芭蕉は急速に郷里上方への郷愁の中に入っていくように思われる。そして、2年後に最後の帰郷につながっていくのである。