芭蕉db

杉山杉風宛書簡

(元禄7年閏5月21日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 膳所の便、啓上いたし候*。そこもと相変り御座無く候や、承りたく存じ候。拙者道中、島田あたりまでは、つかへなども*をりをりおとづれ候へども、次第に達者になり候て、みちみち二三里、日により五里ばかりも養生のため歩行、足場よきところは馬にも乗り、かたがた致し候て*、つつがなく上着いたし候*。雨天おほかた、小雨にあひ候て*、さのみ暑きほどのことは御座無く候。十五日、島田へ着き候て、一夜とどまり候ところ、その夜大雨風、水出で候て、三日渡りどめ候て、十九日立ち申し候。いまだ高水にて、馬の鞦*やうやう隠れぬほどのことに候へども、島田の宿は懇意の者ども*ゆゑ、馬・川越、随分念入れ、一手際高水を越さするを馳走に致し候*。島田より一通、書状たのみおき候。相届き候や。二十五日の状、曾良・猪兵衛より参り候。早々、伊賀にて相達し候*。名古屋へかけより候て、三宿二日逗留、佐屋*へまはり候ところに、荷兮例の連衆*、道にて抜け駆け待ち受け候て、また佐屋半日一宿逗留、伊勢長島に泊り候て、明る日久居*まで参り候て、二十八日、伊賀へ上着申し候。同姓よろこび、旧友ども日々かけ合ひ候て、今月十六日まで伊賀に逗留いたし候て、大和加茂猪兵衛*在所一宿、十七日大津へ参り、十八日より膳所に罷り在り候*。伊賀同名かた*暑く、蚊も多く候へば、夏中は膳所、をりをり京へ出で候て去来と語り、もしくは嵯峨去来屋敷に休足いたすことも御座有るべく候。いまだ草臥もしかとやまず候へども、持病も指し出で申さず候。次第次第暑さにむかひ候へばいかがと存じ候へども、前々より薬給べ候医師なども変らず居り申し候あひだ、この方のこと御気遣ひなさるまじく候。
 先月十八日、深川へ子珊御同道のよし申し来たり候*。さだめて俳諧の御志*とは存じ候へども、はかばかしきことも成り申すまじく候*。十七日、沾圃会いたし候とて懐紙さし越し*、桃隣発句にて御座候。なるほど何れ出来候あひだ*、伊賀あたり、まづ江戸いきと写し置き申し候*。名古屋・伊賀・膳所、俳諧なほいまだよき所に尻を掛け居り申し候*。そこもとの風情*、存知もよらず候あひだ*、深切に御励ましなさるべく候。名古屋は『深川集』*を手本に、若き者ども修業のよし申し候。総じて俳諧評判の事などこれ有り候へども、他にあたり候事もこれ有り候へばいかがゆゑ*、書きしるし申さず候あひだ、ほのかに筆のはしを御悟り候て*、もつともそこもと御励みなさるべく候。
一、同名*このたびは殊のほか力を得、よろこび候て、拙者も別して大悦仕り候。委細書き付けがたく候あひだ、具せず候。
一、猪兵衛*病気、桃隣御油断なく仰せ付けられ下さるべく候。をりをり深川へ御慰みに御出であれかしと存じ候。されども、寿貞*病人のことに候へば、しかじか茶を参るほどの事もえいたすまじくと存じ候。これらが事どもなどは、必ず御事しげきうち*、よろづ御苦労になされ下さるまじく候。猪兵衛・桃隣さしづにて、ともかくも留守相守り、火の用心よく仕り候やうに仰せ付けられ下さるべく候。このたび、所々状かずこれ有り候あひだ、重ねてつぶさに申し進ずべく候。 以上
  五月十一日                        ばせを
杉風様
  荷兮*かたにて

世を旅に代掻く小田の行きもどり

(よをたびに しろかくおだの いきもどり)

 野水*隠居所支度の折節

涼しさを飛騨の工が指図かな

(すずしさを ひだのたくみが さしずかな)

涼しさの指図に見ゆる住まゐかな

(すずしさの さしずにみゆる すまいかな)

句作り二色の内、越人*相談候て、「住まゐ」のかたを採り申し候。「飛騨の工」まさり申すべく候や。そのほか発句も致さず候。伊賀にて歌仙一巻言ひ捨て申し候。

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世を旅に代掻く小田の行きもどり

 「代掻き」は、田植えの前に田をおこす作業。田圃の中を往ったり来たり果てしもない重労働であった。現在では、中山間地の棚田でもないかぎり、耕運機で行うのでずいぶんと楽にはなったのであろうが。
 私の人生は、往ったり来たりの漂白の旅であったが、それはそれこそあの小田の代掻き作業のようなものでありました、というのである。荷兮への挨拶吟だろうが、挨拶としての色彩は薄い。


神奈川県川崎市溝の口にある句碑(牛久市森田武さん提供)。

涼しさを飛騨の工が指図かな

 野水の隠居所が、『徒然草』(55段)の主張にもよく合うことで、挨拶吟とし、これを誉めた。なお、飛騨の工は、『今昔物語』では、飛騨出身の名工。後に転じて飛騨の大工の総称となった。

涼しさの指図に見ゆる住まゐかな

ううう