(よをたびに しろかくおだの いきもどり)
(すずしさを ひだのたくみが さしずかな)
(すずしさの さしずにみゆる すまいかな)
「代掻き」は、田植えの前に田をおこす作業。田圃の中を往ったり来たり果てしもない重労働であった。現在では、中山間地の棚田でもないかぎり、耕運機で行うのでずいぶんと楽にはなったのであろうが。
私の人生は、往ったり来たりの漂白の旅であったが、それはそれこそあの小田の代掻き作業のようなものでありました、というのである。荷兮への挨拶吟だろうが、挨拶としての色彩は薄い。
神奈川県川崎市溝の口にある句碑(牛久市森田武さん提供)。
野水の隠居所が、『徒然草』(55段)の主張にもよく合うことで、挨拶吟とし、これを誉めた。なお、飛騨の工は、『今昔物語』では、飛騨出身の名工。後に転じて飛騨の大工の総称となった。
ううう
懇意の者ども:島田の船宿の主人塚本如舟等を指す。先に、『島田の時雨』に登場。如舟についてはWho'sWho参照。
荷兮例の連衆:荷兮を中心とした例の一党、の意。彼らが道で待ち伏せしたとあるが、これは事実とは異なる。『曾良宛真蹟書簡』参照。
申し来たり候:子珊から手紙で、杉風と深川の芭蕉庵を訪ねた旨の手紙が届いた、の意。杉風が芭蕉庵に残った人たちを慰める俳席を設けようとして子珊同道して行ったのであろう。子珊についてはWho'sWho参照。
はかばかしきことも成り申すまじく候:あまりよい成果を上げられなかったことでしょう、の意。自分の居ない芭蕉庵でのこと、何時ものようにはいかないの意か?
沾圃会いたし候とて懐紙さし越し:沾圃が句会を催したときの作品を送ってきた。その会は、桃隣が発句を付けた。沾圃についてはWho'sWho参照。桃隣についても同様。
よき所に尻を掛け居り申し候:「よき所」とは、古きよき昔の作風。名古屋や伊賀・膳所などでは古い時代の俳諧にこだわっており、まだ「軽み」など新しい風は吹いていないので、の意。
『深川集』:
総じて俳諧評判の事など・・いかがゆゑ:全体俳諧についてもっと言うべき事もあるが、差し障りもあることなので、どうかと思って、これ以上はここでは書かないが、の意。
猪兵衛:猪兵衛が病気だったのは、猪兵衛自身から来た上記の書簡で報せてきたのであろう。猪兵衛についてはWho'sWho参照。
寿貞:寿貞尼についてはWho'sWho参照。
必ず御事しげきうち:あなたは随分忙しい身なのだから、(お構いくださらなく結構です。そのかわり猪兵衛や桃隣に申し付けてください)というのである。
荷兮:荷兮についてはWho'sWho参照。
野水:野水についてはWho'sWho参照。
越人:越人についてはWho'sWho参照。