五月四日 はせを
深川芭蕉庵から許六に宛てた書簡。この書簡の翌々日許六は彦根に向かって旅立った。この二人の子弟は再び相まみえることは無かった。
御手紙辱、六日御立被レ成レ候由:<おてがみかたじけなく、むいかおたちなされそうろうよし>と読む。6日は、元禄6年5月6日のことで、許六が彦根に帰る日のこと。
誠に急成事共に而御残多、千萬難レ盡候:<まことにきゅうなることにておのこりおおく、せんばんつくしがたくそうろう>と読む。急に帰省すると聞かされて、心に残ることも多く、何もかも意を尽くせません、の意。
此度は兼而存知候より御染々と辱二芳情一、御厚志之段顕候而珍重:<このたびはかねてぞんじそうろうよりおんしみじみとほうじょうかたじけのうし、ごこうしのだんあらわれそうろうてちんちょう>と読む。ここ数ヶ月お知り合いになってからというもの、暖かいお心遣いを賜り、その御厚志の段うれしく・・、の意。
外内御志シ近敷候而:<・・?おこころざしちかしくそうろうて>と読む。「外内」の意味が不明だが、親密にして頂いてぐらいの意味であろう。
門人の数に一方の御器量と、杉風・嵐蘭等迄大悦仕事に御座候:<もんじんのかずにひとかたのごきりょうと,さんぷう・らんらんなどまでだいえつつかまつることにござそうろう>と読む。貴方は、数ある私の門人の中でも秀でた才能の持ち主で中心的な人物でなるであろうと、杉風や嵐蘭までが喜んでいるほどでございます、の意。
是も一人一ふりあるお(を)のこにて、尚白ごときのにやくやものに而は無二御座一候:去来は、個性豊かな男で,尚白のような煮え切らない男ではありません、の意。この時期、尚白とは、もはやすっかり切れてしまっていたのであろう。
折々玉句可レ被二仰聞一候:<おりおりぎょっくおおせきかさるべくそうろう>と読む。時々にはお作りになった俳句を紹介してください、の意。
一両歳之内再会、無レ恙可レ得二御意一候:<いちりょうさいのうちさいかい、つつがなくぎょいをうべくそうろう>と読む。一両年のうちに再会し、それまで恙無くお過ごし下さい、の意。
朔日御入来、不レ得二御意一御残多:<ついたちごじゅらい、ぎょいをえずおのこりおおし>と読む。5月1日に貴方がお見えになったのにお会いできず残念しごくです、の意。
釆女殿:<うねめどの>と読む。藤堂釆女のこと。伊賀藩司城職藤堂高調。このに4月30日に行き,一泊して帰宅したのだが,体調悪しく、帰宅が遅れたため芭蕉庵を訪ねてきた許六に会えなかったのである。そこで、帰庵途中に芝神明町の其角宅を訪ねてみたというのである。
昨日立ながらに御いとまごひ可レ申と:昨日は、玄関先ででもお別れのご挨拶をと思っておりました、の意。しかし、天気が定まらなかったので回復するのを待っていたら、来客の為に夕方になってしまい訪ねられませんでした、というのである。
七日御立被レ成候はゞ、明五日昼過に御門まで成共と存候へ共、六日御立に候はゞ、是も其間御ざ有るまじく候:<なのかおたちなされそうらはば、みょういつかひるすぎにごもんまでなりともとぞんじそうらえども、むいかおたににそうらはば、これもそのまござあるまじくそうろう>。7日に出発というのであれば5日は貴方に未だ多少時間の余裕もあるでしょうから、門前でご挨拶も可能かとも思いますが、6日に出発だというのであればそのゆとりも無いことでしょう、の意。
明日昼過、以レ使可レ申二進之一候:<あすひるすぎ、つかいをもってこれをしんじもうすべくそうろう>と読む。明日の昼過ぎに使いの者に挨拶をさせます。
絵色紙、素堂へいまだ今に得遣し不レ申候間、明日一所に可レ進レ之候:<えしきし、そどうへいまだいまにえつかわしもうさずそうろうあいだ、あすいっしょにこれをしんずべくそうろう>と読む。「絵色紙」とは、許六が、自分の描いた絵に芭蕉や素堂・其角・桃隣などの画讃を入れることを依頼したものであろう。その色紙のうち山口素堂に未だ請求していないので明日遣いをやって、一緒に許六にお届けしましょうというのである。
桃隣方へ被レ遣候は拙者先日参:<とうりんかたへつかわされそうろうはせっしゃせんじつまいり>と読む。桃隣に依頼した画讃は先日私が行って取って来た、の意。
明日参候様に可二申遣一候:<あすまいりそうろうようにもうしつかわすべくそうろう>と読む。其角のところにも其角の画讃を立ち寄って受け取ろうとしたのですが、生憎留守でしたので、明日持ってくるように遣いをやりましょう、の意。
いづれもいづれもことのほか手跡出来し、大慶に存候:<・・しゅせきしゅったいし、たいけいにぞんじそうろう>と読む。どの画讃も大変すばらしいもので喜んでいる、の意。
與風:<ふと>と読む。こころならずも「うつくしい」賛を入れて、散々に失敗してしまいました。だから彦根に帰ったらもう一度三井寺の絵を描いて送ってくれれば賛を入れなおすというのである。
只はへの内に門許り御書被レ成:<ただはえのうちにもんばかりおかきなされ>と読む。「はえ」は木立のこと。木立の茂みの中に三井寺の門だけを描いた方がよいというのである。
賛書所、紙の間ゆるりと御書可レ被レ成候:<さんかくところ>、かみのまゆるりとおかきなさるべくそうろう>と読む。画讃を入れる所を広く取って絵を描いて欲しい、の意。
木道(導)麦脇付申候:<ぼくどうむぎわきつけもうしそうろう>と読む。木導の句(「春風や麦の中行く水の音」)に私が脇(「かげろふいさむ花の糸口」)をつけました、の意。木導は、彦根の蕉門の門人。
第三可レ然事無二御座一候間、貴様静に御案候而御書付可レ被レ成候:<だいさんしかるべきことござなくそうろうあいだ、きさましずかにごあんじそうろうておかきつけなさるべくそうろう>と読む。この脇に付けるべき第三句は難しくはないと思いますから、あなたがよく考えてお付けになればよろしい、の意。
其角餞別第三、是も御ゆるさるべく候:<きかくせんべつだいさん,これもおゆるさるべくそうろう>。其角の餞別吟(「木曽路とや涼しき味をしられたり」)の第三句を私にというのもご辞退致します、の意。その理由は次の通り。
餘り拙者過たるも不興之事に候間、発句・脇計に御捨可レ被レ成候:<あまりせっしゃすぎたるもふきょうのことにそうろうあいだ、ほっく・わきばかりにおすてなさるべくそうろう>と読む。私ばかりが目立つのも面白くないので発句と脇だけに致しましょう、の意。
杉風押絵も可レ然様に奉レ頼候:<さんぷうおしえもしかるべきようにたのみたてまつりそうろう>と読む。「押絵」は屏風絵に用いるものだが、杉風の次女おさんの結婚式用に杉風が許六に依頼したもの。
世外の交り:<せがいのまじわり>。俗を離れた風流の交友、の意。これを以ってお会いできないのは残念ですが、ひとかどの風流というものはこういうものです、というのである。実際、芭蕉と許六はこれを以って再び会うことは無かったのである。