芭蕉db

怒誰宛書簡

(元禄6年11月8日 芭蕉50歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


御修行つのり行申候哉*。聊間断におゐて□馬の蝿に驚*、逍遥無何有の郷を失ルものならん*
洒堂より頃日書状指越候*。返翰具に申遣し候*。何事をも相心得候と申越候は、貴辺よりなど聊被仰遣候事も候にて*、存知之外胸裏分別を重宝仕ると相見え候*。よしよしこれも悪からず、千歳此方の人*、爰に繋縛せられ生涯是非の溝洫に□溺候へば*,彼躰の若もの、いまだころばぬをかちと被存候。連衆もそろそろ出来申由、珎重に存候*
一、つらりつと御心得奉頼候*。中にも正秀・林甫*いかヾ被致候哉。久々左右も不承候*。乍去此方御合力には御状被下まじき由奉頼候*。此度状数少々御座候間*、重而□可申上候。以上
  霜月八日                            はせを
  怒誰雅丈

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 深川芭蕉庵から、怒誰に宛てた書簡。洒堂が江戸から膳所を経由して大坂にプロの俳諧師として立机し、この若者に対する話題が中心になっている。洒堂はこれから大坂の之道と確執を起こし、後に芭蕉が大坂に出向いて仲裁に入ることになるのだが、その始まりがこの時期であった。