深川芭蕉庵から、江戸在勤から膳所に戻った菅沼曲水宛書簡。曲水からの書簡に対する返書である。文中の振売の句は元禄6年10月20日の作とされている。
此ほどの御なつかしさ筆端難レ尽事共に而:<このほどのおなつかしさひったんつくしがきことどもにて>と読む。お手紙を頂いて、その懐かしさ筆には表せません、の意。
壁の影法師・練塀の水仙、申さば千年を過たるに同じかるべく候:<かべのかげぼうし・ねりべえのすいせん、もうさばせんねんを・・>と読む。「壁の影法師」は、芭蕉の句「埋火や壁には客の影ぼうし」(続猿蓑)を、「練塀の水仙」は、曲水の句「練壁やわれて日のもる水仙花」(薦獅子集)をそれぞれ指す。これらの歌を詠んだ頃からすでに千年も経ったような気分だというのである。
二郎兵へは小料理に慰罷有候:<じろべえはこりょうりになぐさめまかりありそうろう>と読む。二郎兵衛は寿貞尼の子と言われているが詳細は不明。この翌年芭蕉最後の西上に同行。
頃日漸寒に至り候而、少し云捨など申ちらし候:<けいじつようやくかんにいたりそうろうて、すこしいいすてなど・・>と読む。この頃になって漸く寒くなってきたので、すこし作句などを始めています、の意。
いまだ御見舞にも不レ参候由、沙汰のかぎりと申遣し候:洒堂が曲水に挨拶に行っていないと手紙に書いてありましたが、無礼なことです、の意。
正秀鶉の句、驚入申候:水田正秀の「日当たりにせせくりなかすうずら哉」を指す。正秀についてはWho'sWho参照。
此をのこは何事指はさみ候にや、書状もくれ不レ申候:正秀は何を考えているのやら、手紙一つよこしません、の意。正秀の無沙汰が気になっている模様である。
其器量に応じておもひ計申候:<そのきりょうに・・おもいはかりもうしそうろう>。器量は人となりのこと。あるいは、閉館している私をそっとしておくために手紙を寄越さないのか、ただ彼の人となりから判断するだけだ、というのだが。