芭蕉db

貝増卓袋宛書簡

(元禄2年9月10日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 遷宮過ぎ、追つ付けそれへ参るべく候あひだ、御待ちなさるべく候。同道も一両人御座候。去年、京屋かたより申し越され候、旦那御下屋敷に御置きなさるべきよし、内証これ有り候へども、他客見舞も存知のほかの衆もこれ有り、また、おのおの出入りも遠慮これ有り候あひだ、わきわきにて小借家これ有り候はば、御借り候やうの御心当てなさるべく候。なるほど、侘びたる分は苦しからず候。なほなほ、宗七西かたの下屋敷にても苦しからず候へども、この段は、この方より好み候とは、御申しなさるまじく候。借家これ有り候はば、筵に薄縁、竃一つ、茶碗十ばかりにてよく候あひだ、随分御精御出だしなさるべく候。首尾により、冬中も逗留いたすべく候。まづまづ、近所の御衆に御心得なさるべく候。くはしく書き申さず候。

以上

九月十日                  桃青

     (宛名)

  定めて、御老母様・御正殿・子ども、息災たるべくと存じ候。


 『奥の細道』の旅を終えて伊勢神社遷宮見物への道すがら久居の長禅寺で、郷里伊賀上野のかせ屋市兵衛(卓袋)宛に書いた書簡。元禄3年の冬にかけて伊賀に長逗留するかもしれないので一軒家を見つけておくように依頼した内容。すでに藤堂家でも下屋敷を斡旋しているようだが、これを断って侘び住まいのできる家を欲しいと述べている。