芭蕉は、元禄3年正月は3日に伊賀上野に帰郷した。持病の痔疾に悩まされその療養のためと思われる(『智月宛書簡』参照)。その伊賀上野で書いた返書。同じく市内の式之・槐市に宛てたもの。探丸から句会の誘いがあったが風邪で伏せっていて出られないこと、二人の歳旦句が大変よいことなどを述べた後、「薦を着て・・」の芭蕉の歳旦句が京や大津で大変評判のよいことなどを書き記している。芭蕉が「軽み」へと大きく変化して行く時期の書簡である。
御堅固御越年、重畳目出度奉レ存候:<ごけんごごえつねん、ちょうじょうめでたくぞんじたてまつりそうろう>と読む。お元気で年を越され、すばらしく目出度いことと存じます、の意。
夜前も従二旦那一御文被レ仰付難レ有奉レ存候:<やぜんもだんなよりおふみおおせつけられありがたくぞんじたてまつりそうろう>と読む。ここに旦那とは、芭蕉の昔の主人藤堂新七郎家の当主探丸良長のこと。
歳旦共扨扨珍重奉レ存候:<さいたんどもさてさてちんちょうにぞんじたてまつりそうろう>と読む。ここに歳旦は、多く新春の吉日を選んで詠んだ俳句のこと。
きそはじめ玉句:不明。「きそはじめ」は「着衣初」で正月三ケ日の吉日を選んで新しい着物をおろすことをいう。式之の歳旦句にそういう主題の句が有ったのであろう。
御出し被レ遊候而も、京を不レ恥程之玉句かと奉レ存候:<おだしあそばされそうろうても、きょうをはじずほどのぎょっくかとぞんじたてまつりそうろう>と読む。世間に発表しても、京都あたりでも通用する優れた歳旦吟です、の意。
太ばしの事に而可レ有二御座一候:<ふとばしのことにてござあるべくそうろう>と読む。「太ばし」は「太箸」で雑煮を食するときに使う太い箸。俵箸ともいう。
是に御究被レ成可レ然奉レ存候:<これにおきわめなされしかるべくとぞんじたてまつりそうろう>と読む。こういうスタイルを考究されたらよいと思います、の意。
愚句之事:ここに句は、「薦を着て誰人います花の春」を指す。この句が京や大津で評判になったと報告しているのである.この句は、芭蕉にとって「軽み」へ転向の記念すべき一作であった。