芭蕉db

式之・槐市宛書簡

(元禄3年1月5日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


玉章辱拝覧仕候*。御堅固御越年、重畳目出度奉存候*。夜前も従旦那御文被仰付難有奉存候*。早々御礼御祝義に参上可仕處、少風邪引候而罷有候故、今日保養仕、明日参上仕度奉存候。若明日御指合*も御座候はゞ朝之間御しらせ奉頼候。
一、歳旦共扨扨珍重奉存候*。きそはじめ玉句*、御出し被遊候而も、京を不恥程之玉句かと奉存候*。神の伝え玉ふの玉句*は、類いはなれたる御作意に而、御言葉幽玄、すがた共感心仕候。太ばしの事に而可御座*。俵ばしとさへ申候へば申分無御座、猶明日可申上候。貴様玉句、近年つゞきおとなしく候*。是に御究被成可然奉存候*。其外いづれも珍重奉存候。他国の者の仕候をも、とかく御覧可成候。此足もとへもよらぬ事共に而御座候。愚句之事*、随分当年は晴がましく、京大津のもの共、耳をそろへ目をそば立申候。わらはぬ程の事申候。明日申上べく候。已上
  式之様                        桃青
  槐市様

 芭蕉は、元禄3年正月は3日に伊賀上野に帰郷した。持病の痔疾に悩まされその療養のためと思われる(『智月宛書簡』参照)。その伊賀上野で書いた返書。同じく市内の式之槐市に宛てたもの。探丸から句会の誘いがあったが風邪で伏せっていて出られないこと、二人の歳旦句が大変よいことなどを述べた後、「薦を着て・・」の芭蕉の歳旦句が京や大津で大変評判のよいことなどを書き記している。芭蕉が「軽み」へと大きく変化して行く時期の書簡である。