芭蕉DB
野ざらし紀行
(甲斐の国)
甲斐の山中
*
に立ち寄りて、
行駒の麦に慰むやどり哉
(いくこまのむぎになぐさむやどりかな)
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表紙
年表
行駒の麦に慰むやどり哉
甲斐の黒駒というように古来甲斐の国は馬の産地であった。野ざらしを覚悟の決死の旅も、その前年芭蕉庵焼失のため疎開していて住み慣れた甲斐の国まで帰ってくれば江戸はもう指呼の間、何となく一息ついた気分にもなろうというもの。折しも陰暦4月の麦秋の季節は、寒からず暑からず、ゆったりとした時間の流れの中で駒の足取りも軽やかに、間もなく知人の家に辿り着く。
山梨県甲州市勝沼町等々力山万福寺の句碑(牛久市森田武さん撮影)
甲斐の山中
: 山梨県都留市の谷村あたりか? 芭蕉は4月10日に鳴海を出発しているので、中山道ではなく、東海道を下った公算が高い。とすれば、蒲原から富士川沿いに甲州鰍沢に入ったか、三島から御殿場を通って 富士の東の裾野から篭坂峠を越え山中湖経由で都留に出た可能性もある。「山中」の読み方としてこの山中を指す可能性もある。
なお、甲斐山中として、「
山賎のおとがひ閉づる葎かな
」(『続虚栗』)がある。