芭蕉db
(那須の黒羽へ 元禄2年4月2・3日)
那須の黒ばね*と云所に知人*あれば、是より野越にかゝりて*、直道*をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る*。農夫の家に一夜をかりて*、明れば又野中を行。そこに野飼の馬*あり。草刈おのこになげきよれば*、野夫*といへども、さすがに情しら ぬには非ず。「いかヾすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん*、あやしう侍れば、此馬のとヾまる所にて馬を返し給へ」とかし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて*、名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ、
(かさねとは やえなでしこの ななるべし)
本文先頭部分は、激しい夕立のあった元禄2年4月2日の夕方のことが書かれている。その後が3日。3日は快晴。塩屋町から矢板を経て黒羽町へ至る。この夜は翠桃宅を訪ねて泊る。
与謝蕪村「奥の細道画巻」(逸翁美術館所蔵)
馬上の芭蕉と曾良。子供二人の中、右の女児が「かさね」ちゃん
黒羽町は芭蕉で街おこし。「芭蕉館」の玄関先には芭蕉一行の像が。
「芭蕉館」の庭に建つ「かさねとは八重撫子の名成べし」の句碑。
是より野越にかゝりて:<これよりのごえにかかりて>と読む。この「野」が那須野である。那須野は、「道多きなすの御狩の矢さけびにのがれぬ鹿のこゑぞ聞ゆる」(藤原信実『夫木和歌抄』)などの歌枕として有名だった。
うゐうゐ敷旅人の道ふみたが え ん:<ういういしきたびびとのみちふみたがえん>。このあたりの地理に不案内な旅人では道に迷うことであろう、の意。
独は小姫にて:<ひとりはこひめにて>とよむ。曾良本では「小娘」となっている。蕪村絵参照。この娘かさねは後に鬼怒川の与右衛門の妻になったのではないかという(『奥細道菅薦抄』参照)。
「かさねとは八重撫子の名成べし」:かさねとはとてもかわいらしい名前だが、花ならさしずめ八重ナデシコの名前といったところだろう。
あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。:<・・くらつぼにむすびつけて・・>と読む。いくらかの謝金を馬の乗鞍に結び付けて馬を返したのだが、馬は自分の家に帰る習性があるので無事に帰ったことであろう。
全文翻訳
那須の黒羽というところに知人がいるので、ここから「道多きなすの御狩の矢さけびにのがれぬ鹿のこゑぞ聞ゆる」の歌で知られた那須野を横切って、近道を行こうとした。遥か前方の一村を目ざして行くに、雨が降ってきて、日も暮れてきた。農夫の家に一晩泊めてもらい、朝になってまた野中を行く。
そこに馬が一頭草を食んでいた。草刈の農夫に事情を話すと、田舎者だが情け知らずではない。「どうすっぺぇか? この野原は道があっちこっちに分かれてて、他所者には迷うだんべ。わしも心配だから、この馬に乗ってって、この馬が止まるとこでこれを返してくんなんしょ」と言って馬を貸してくれた。
子供たちが二人、馬の後を追ってきた。一人は少女で、その名を「かさね」という。聞きなれないものの、かわいい名前なので、
かさねとは八重撫子の名成べし 曾良
まもなく人里に着いたので、謝礼を鞍壺に結わえて馬を返した。