芭蕉db

奥の細道

(笠島 元禄2年5月4日)


 鐙摺*、白石の城を過、笠島の郡*に入れば、藤中将実方*の塚はいづくのほどならんと、人にとへば、「是より遥右に見ゆる山際の里を、みのわ・笠島と云、道祖神の社 、かた見の薄*、今にあり」と教ゆ。此 比の五月雨に道いとあしく、身つかれ侍れば、よそながら眺やりて過るに、簑輪・笠島も五月雨の折にふれたり*と、
 

笠島はいづこさ月のぬかり道

(かさじまは いずこさつきの ぬかりみち)

 
岩沼に宿る*

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表紙 年表 bo24_03.gif (162 バイト)俳諧書留


 5月4日。午前8時頃、白石出発。小雨もこの頃には止み、薄日も射し始めた。岩沼で竹駒神社参詣。その別当竹駒寺の後に武隈の松がある。これを見物。
 笠島はいささか遠いというので見ずに通過。名取川を渡り、仙台市長町で若林川を渡って夕方仙台に到着。この夜は、仙台市国分町大崎庄左衛門宅に宿泊。


藤中将実方の墓(写真提供:牛久市森田武さん)

 

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笠島はいづこ五月のぬかり道

 藤中将実方ゆかりの笠島は五月雨あとのぬかり道のかなた。この辺土で無念の死をとげた中将の魂は今何処にあるのだろう。
 この日は、五月晴れとはいかなかったが、薄日のさす晴れの日だったらしい。しかし、ここの地形からして梅雨どきの畦道を通って笠島道祖神まで歩いて行ける状況ではなかったに違いない。
 
猿蓑巻之二』では、「奥名取の郡に入、中将実方の塚はいづくにやと尋侍れば、道より一里半ばかり左リの方、笠嶋といふ處に有とをしゆ。ふりつゞきたる五月雨いとわりなく打過るに」としてこの句を掲出する 。
 


笠島はいづこ五月のぬかり道」の句碑 (写真提供:牛久市森田武さん)