(飯塚 元禄2年5月2日・3日)
其夜飯塚*にとまる。温泉あれば、湯に入て宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家也。灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。夜に入て、雷鳴雨しきりに降て、臥る上よりもり、蚤・蚊にせゝられて眠らず 。持病さへおこりて、消入計になん*。短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。猶夜の余波*、心すゝまず。馬かりて桑折の駅*に出る。遥なる行末をかゝ えて、斯る病覚束なしといへど、羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念*、道路にしなん、是天の命なりと、気力聊とり直し*、路縦横に踏で*伊達の大木戸*をこす。
甲冑堂 残念なことに、甲冑堂は、昭和のはじめに放火によって焼失し、堂も佐藤兄弟の甲冑像も新しく作られたものだそうです。甲冑像を見せていただきましたが、撮影はできませんでした。(文と写真:牛久市森田武さん)
飯塚:福島市郊外の飯坂温泉。 この時代の温泉宿は、肝心の湯は共同風呂で温泉地に一箇所ないし複数箇所に共同入浴場をもっていて、旅館は宿泊だけ。宿に温泉があるのは「内湯」といって、もっとずっと後世になってから出現した高級旅館だったのである。
伊達の大木戸:福島県伊達郡国見町にあった伊達藩への関門 。その昔、藤原泰衡はここで源頼朝軍を迎え撃った。
全文翻訳
その夜は飯塚に泊まった。温泉があるので入浴してから宿を探したのだが、見つかった宿は、土間に筵を敷いただけの薄汚い貧乏家。灯火もないので、囲炉裏のそばに寝床を取って寝る。夜になって雷雨がひどく、寝ているところに雨が漏れてくる。しかも、蚤や蚊にくわれて眠られない。持病さえおこって、その心細さといったらない。
短い夜もようやく明けたので再び旅立った。しかし、前夜の不眠がたたって気分は晴れない。馬を借りて桑折の駅まで出た。
前途に遥かな旅路をひかえて、このような病気は覚束ない。だが、辺境の地に一身を捨てた旅であり、すべては諸行無常、路上に死んでもそれは天命なのだと、気力いささかふりしぼって、縦横に曲がった細道を踏みしめ踏みしめ、伊達の大木戸を越えた。