膳所の曲水亭から江戸深川の村松猪兵衛に宛てた書簡。芭蕉は閏5月16日、伊賀から膳所への途次山城加茂の平兵衛宅に一宿した。ここは愛人寿貞尼の郷里ともいわれ、また村松猪兵衛にとっては郷里である。そこで猪兵衛の母や兄や姉達に会い、また持参した猪兵衛の書簡をわたしたのである。そのときの細々した話を書いて報告したのがこの書簡である。
平兵え(衛):詳細は不明だが、加茂のこの家は一説には寿貞尼の実家と言われている。あるいは芭蕉とも縁戚関係が有るのかもしれない。平兵衛という人物がこの時点で実在したか、不在のまま屋号として呼称しているのかも不明。
好齋老へも此たび状数多く候而延引、重而可二申達一候:<こうさいろうへもこのたびじょうすうおおくそうらいてえんいん、かさねてもうしたっすべくそうろう>と読む。好齋への手紙を書きたいが書くべき数が多くて延び延びになっています。そのうち書きます、の意。
意。