芭蕉db

猪兵衛宛書簡

(元禄7年閏5月21日 芭蕉51歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 一、當月十六日加茂へ参平兵え(衛)*に一宿、御袋様・源三殿*・あねごなどへ遭申、御袋御無事に御入候。され共四年已前よりよほどとしも御寄、耳も遠く御成候。あねごとふたり貴様事のみくどくかへすがへす遭申度よし被申、難儀いたし候。則平兵へ(衛)・源三殿書状相届候。委ク跡より可進之*
十六日好齎老*とならちゃ*にて御出合候由、御なつかしく候。好齋老へも此たび状数多く候而延引、重而可申達*。御心得被成可下候。深川の様子具に重而御申こし可下候。
一、二良(郎)兵へ(衛)*道中達者に而、拙者苦労にもなり不申、能くつとめ申候。以上
    壬(閏)五月廿一日                             はせを
  猪兵へ(衛)

kaisetsu.gif (1185 バイト)

 膳所の曲水亭から江戸深川の村松猪兵衛に宛てた書簡。芭蕉は閏5月16日、伊賀から膳所への途次山城加茂の平兵衛宅に一宿した。ここは愛人寿貞尼の郷里ともいわれ、また村松猪兵衛にとっては郷里である。そこで猪兵衛の母や兄や姉達に会い、また持参した猪兵衛の書簡をわたしたのである。そのときの細々した話を書いて報告したのがこの書簡である。