- 芭蕉DB
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閉関の説
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(へいかんのせつ)
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(元禄6年7月盆後 50歳)
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閉関の説
- 色は君子のにくむところ*にして、仏も五戒*の初めに置けりといへども、さすがに捨てがたき情のあやにくに*、あはれなるかたがた*も多かるべし。人知れぬくらぶ山の梅の下臥しに*、思ひのほかのにほひにしみて*、忍ぶの岡の人目の関も守る人なくては*、いかなるあやまちをかしいでむ。海人の子の波の枕に袖しをれて*、家を売り身を失ふためしも多かれど、老いの身の行く末をむさぼり*、米銭の中に魂を苦しめて*、ものの情をわきまへざるには*、はるかに増して罪ゆるしぬべく、人生七十を稀なりとして、身の盛りなることは、わづかに二十余年なり。初めの老いの来たれること*、一夜の夢のごとし。五十年・六十年のよはひ傾ぶくより、あさましうくづほれて*、宵寝がちに朝起きしたる寝ざめの分別*、何事をかむさぼる。おろかなる者は思ふこと多し。煩悩増長して一芸すぐるる者は*、是非のすぐるる者なり。これをもて世の営みに当てて、貪欲の魔界に心を怒らし、溝洫*におぼれて生かすことあたはずと、南華老仙*のただ利害を破却し、老若を忘れて閑にならむこそ、老いの楽しみとは言ふべけれ。人来れば無用の弁あり。出でては他の家業をさまたぐるもうし。孫敬*が戸を閉ぢて、杜五郎*が門をとざさむには。友なきを友とし、貧しきを富めりとして、五十年の頑夫*、みづから書し、みづから禁戒となす。
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(あさがおや
ひるはじょうおろす もんのかき)
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朝顔や昼は錠おろす門の垣
- 芭蕉はこの年、肉体的にも精神的にも衰えていた。約一ヶ月間、草庵の門を閉じ隠棲し、世間から隔絶した生活を送っている。そこにおける生活信条は徹底した物欲否定であり、それは佛の五戒の第1位不邪淫すらも未だ許せるというくらいの徹底ぶりである。
- 一句は、その閉関の挨拶句。徒然草の作者と共感しながらの強い主張とは裏腹に、句そのものは俳諧色の豊かな作である。なお,もう一句「蕣や是も又我が友ならず」がある。
論語では、「君子に三戒あり。少き時は血気未だ定まらず、これを戒むること色に在り。其の壮なるに及んでは血気方に剛なり、これを戒むること闘に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰う、これを戒むること得に在り。」(若いとき血の気が多いから「色」に、壮年期には血気まさに旺盛だから「闘(あらそい)」に気をつけよ。年老いたら「得(よく))」を戒めよ」と言っている。
五戒:仏教における在家の信者の守るべき戒め。殺生・盗み・姦通・虚言・飲酒の禁止をいう
あやにく:ままならないこと。
あはれなるかたがた:恋の上手な(多情な)人々。
人知れぬくらぶ山の梅の下臥しに:くらぶ山は京都の鞍馬山のこと。梅は、紀貫之の歌「梅の花にほい春べはくらぶ山やみに越ゆれどしるくぞありける」(『古今集』)をかけた。「人知れぬ下伏し」は、人目を避けた逢瀬の意
。思ひのほかのにほひにしみて:恋の虜となりあhてて。
忍ぶの岡の人目の関も守る人なくては:人目を忍ぶ恋路の邪魔をする人目が無かったら、の意。邪魔が無ければ何処まで身を焦がして破滅してしまうか分からない、というのである。
海人の子の波の枕に袖しをれて:古歌「白波の寄する汀に世を過す海士の子なれば宿も定めず」(『和漢朗詠集』)からとった。遊女との恋に身をやつしてしまう、の意。
老いの身の行く末をむさぼり:長生きすることに恋々として強欲になること。
米銭の中に魂を苦しめて:物欲や金銭欲に悩み苦しんで、の意
。
ものの情をわきまへざるには:情趣の分からないようなこと、または人。
初めの老いの来たれること:初めの老いとは初老の意で40歳の男子をいう。その年齢までにはあっという間の時間だというのである。
あさましうくづほれて:見る影も無いほどに衰弱して、の意
宵寝がちに朝起きしたる寝ざめの分別:寝ても覚めても考えることは、の意。
煩悩増長して一芸すぐるる者は:『徒然草』参照。
溝洫:<こうきょく>と読む。田んぼの溝のこと。
南華老仙:<なんかろうせん>と読む。荘子のこと。
孫敬:孫敬は、門を閉じて常に読書三昧であったという。
杜五郎:杜五郎という人は、何年も戸を閉じて外出しなかったという。
頑夫:<がんぷ>と読む。頑固者。芭蕉自身のこと。