芭蕉db

森川許六宛書簡

(元禄7年2月25日 芭蕉51歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


上略
一、「神矢の根」*「螻蓑」*、少分ながら御用に立ち、満足申し候。おのおの感心、「関の足軽」*、よきころあひの奇作に候。過ぐれば手帳の部に落ち候*。世に鳴る者の三つ物*、総じて地句*など、みなみな手帳のほかは三歳児童の作意ほども動かず候。町者のこしらへの俳諧にも、わが党五三人は見あき候へども、いまだここを専と句をこしらへ候者どもも歴々相見え候。よき句をうるさがる心ざし感心あるべきことにや*。歳暮の大荒れ、目をさまし候*。「みなと紙の頭巾」*は、人々空に覚えて笑ひ候*
一、愚門三つ物、京板*にて御一覧なさるべく候。江戸他家の事は、評判無益と筆をとどめ候。其角・嵐雪が儀は、年々古狸よろしく鼓打ちはやし候はん*
一、桃隣が五つ物は、半ば愚風に心をよせ、ところどころ点取口を交へ、はかばかしくも御座無く候へども、かれなほ口過ぎを宗とするゆゑ、堪忍の部のよきかたに定まり候。
一、宝生沾圃*が三つ物は、力なき相撲取の、手合せを見事にしたるばかりか。されども、力相撲のねぢ合ひ*には増り候はんと、収め候。
一、野坡*が三つ物は、去秋より愚風*に移り、いまだうひうひしくて、さぐり足にかかりはべれども、年来の功すこし増り、器量邪風に立ち越え候ゆゑ、見どころ多く、総じての第三、手帳の場を打ちなぐりたる、一つの手柄ゆゑ、これ中の品の上の定めに落ち着き候。愚句*は、子供の気色荒れたる体に見うけ候へば、一等しづめ候て、目にたたせず候。かの「伊勢に知る人おとづれて便りうれしき」と詠みはべる、「便り」の一字を取り伝へたるまでにて候。
一、美濃如行*が三つ物は、「軽み」を底に置きたるなるべし。総じての第三は、手帳の部*にありといへども、世上に面を出だす風雅の罪*、許し置き候。
一、膳所正秀*が三つ物三組こそ、あとさき見ずに乗り放ちたれ。世の評詞にかかはらぬ志あらはれて、をかしく候。彦根*五つ物、勢ひにのつとり、世上の人を踏みつぶすべき勇体、あつぱれ風雅の武士の手わざなるべし。世間、この三通りのほかは、手に取るまでもなきものに候*
   二月二十五日
森川許六丈                      ばせを
   御返事

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 この年の正月の歳旦帖が彦根の許六から送られてきたものをみた感想と、他に江戸情勢や膳所の如行からの近江のものとを評論した書簡。「軽み」に対する執拗な関心と、評論の力点もそれを基調としながら批評する形となっているのが特徴である。蕉門以外の江戸俳諧の愚劣さへの怒りは、この時期ともなると「無視」へと変り始めている。
 嵐雪や其角との間の確執は内心我慢ならないところまで来ているのが行間ににじみ出ているのが興味深い。