江戸芭蕉庵から江戸在勤中の膳所藩士菅沼曲水宛に書いた書簡。膳所の医師珍碩が芭蕉庵に到着したこと、珍碩がもたらした上方情報のうち門弟に関することを知らせている。路通がこの時期に還俗していることがこの書簡から分かる。
ところで、珍碩にとって今回の江戸下向は彼の人生にとって大きな転機となる重要な旅となった。武士を捨てて、本格的に風雅の道で生きていく決心をすることになるからである。
なる程風雅的当之顔付にて見事成江戸入:<なるほどふがてきとうのかおつきにてみごとなるえどいり>と読む。興津で目が悪くなったと聞いたときには、駕籠で江戸まで連れてくるしかないと考えていたというのに、元気で江戸入りし、さすがに風雅の人に相応しい姿でありました、とうのであるが。
盤子が愛敬なき顔つきも二度見るやうにうるさく:盤子の話は、まるで彼の理屈の多い話を聞いているようで、さもあらんとおかしく思いました。盤子は支考のこと。
路通は大坂にて蛸をことのほかすき候よし:路通は大阪にいて生臭をやっているようです、の意。路通はもともと僧侶であったし、僧侶らしからぬ生臭坊主であったのだが、このころ髪を伸ばして還俗したのである。
額のなりちいさく、羽織・脇指合かね可レ申候:<ひたいのなり・・・、はおり・わきざしあいかねもうすべくそうろう>と読む。俗人が身につけるものは簡単に手に入ったらしいが、髪の毛が少なく髪が結えないので、羽織や脇指は似合わないということです、の意。
此道盤子に立ばらのせんさくはせぬやうにと存る計に御座候:<このみちばんしに・・・ぞんずるばかりにござそうろう>。こういうことについては路通がまた理屈を言うことでしょうが、それを言わせないようにしないといけません、の意。「立ばら」は立腹。「せんさく」は穿鑿。これらの記述は、ふざけた調子で書かれていて、字句どおりの意味ではない。
先日は終日寛々忝、大悦仕候:<せんじつはしゅうじつゆるゆるかたじけなく、だいえつつかまつりそうろう>と読む。句会を曲水宅で開いたのであろう。
高橋様へも此書状一所に御披見可レ被レ成候:<・・このしょじょういっしょにごひけんなさるべくそうろう>と読む。「高橋様」は曲水の弟怒誰のこと。
珍敷交り、近々一座一笑、仕度存候:<めずらしきまじわり、きんきんいちざいっしょう、つまつりたくぞんじそうろう>と読む。珍碩を交えて一席もうけたく思います、の意。