京都の去来との現存する最初の書簡である。この頃まだ去来は芭蕉の門には入っていない。
去来からの再三の書簡に対して無沙汰であったことの詫びと、『蛙合』の中の去来の作が江戸の弟子たちの間で大変評判になったことなどを伝える。また、この晩夏以降に上京の予定であることを伝えるが、これは実行されなかった。
芳賀一晶:<はがいっしょう>と読む。京都の人で貞亨年間に江戸に下り芭蕉と知己になる。その芳賀一晶が京都の老母を見舞うと言って上京したのにこの書簡を託したのである。
愈御無事に被レ成二御座一候哉、承度奉レ存候:<いよいよごぶじにござなされそうろうや、うけたまりたくぞんじたてまつりそうろう>と読む。
和田氏:江戸蕉門の和田泥足のことか。泥足と言わず姓で呼んでいるのはこの頃芭蕉と交流がありながら未だ師弟関係になかったのかも知れない。
其角:<きかく>。Who'sWho参照。
誠不レ浅感心仕事に御座候:<まことにあさからずかんしんつかまつることにござそうろう>と読む。過日は又お手紙をいただき、御厚志やご親切の段、深く深く感謝申し上げます、の意。
蚊足:<ぶんそく>。和田蚊足。京都の人。蚊足が江戸から京都に帰り、芭蕉の近況を報告しているであろうから、他よりもしないでいましたが、それは私の考えが浅かったかも知れませんと言うのである。
毫髪可レ入處無レ之:<ごうはついるべきところこれなく>と読む。寸分の違いもありません、の意。去来と芭蕉の俳諧にかける精神にいささかの違いも無いと言うのである。事実、芭蕉は去来に対して高い信頼を置いていた。
近世只俳諧之悟心明に相きこへ候而:<きんせいただはいかいのごしんあきらかにあいきこえそうろうて>と読む。最近、去来が俳諧の精髄をしっかりと会得したことが(書面からも)知られて、の意。
李下:<りか>。Who'sWho参照。
此度蛙之御作意:<このたびかわずのおさくい>と読む。「蛙」とは『蛙合』所収の去来の句「一畦はしばし鳴きやむ蛙哉」を指す。この主題の扱い方がすばらしいと江戸で大評判になったと言うのである。
さが野の御草庵に而親話尽し可レ申とたのもしく存罷有候:さが野の草庵は、去来の落柿舎を指し、後に『嵯峨日記』を執筆した場所。この夏以降に上方に上り落柿舎で語り合うのを楽しみにしています、というのだが実行されなかった。
さがへ、キ丈御方へ参候事は其元に而もさたなきがよく候:嵯峨野の貴方様の別荘に私が行くというようなことは、貴方の方で内緒にして置いて下さい、というのだが。「キ丈」は貴丈、男性二人称の尊称。