- 芭蕉db
河合曾良宛書簡
(元禄7年閏5月21日 芭蕉51歳)
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書簡集/年表/Who'sWho/basho
- 先月二十五日の御状、小川氏*より届けられ候て、拝見いたし候。小田原まで御送りの礼*、島田より一通たのみ遣し候。相届き申し候や。貴様御帰りの日に御書付、道々も次郎兵衛と申しやまず候*。箱根山のぼり、雨しきりになり候て、一里ほど過ぎ候へば、少し小降りになり候あひだ、畑*まで参り、小揚*に荷を持たせ候て、宿まで歩行いたし候て、下り三島まで駕籠かり、三島に泊り候。十五日の晩がた、島田いまだ暮れ果てず候あひだ、すぐに川を越え申すべくやと存じ候へども、松平淡路殿金谷に御泊り*、宿も不自由にあるべくと、孫兵衛*かた訪れ候へば、是非ともにと留め候。川奉行役*の者にて候へば、「いかやうとも川を越させ申すべく候あひだ、まづ泊り候へ」と申すうちに、大雨風一夜荒れ候て、当年の大水*、三日渡りとまり候。さのみ俳諧の相手にもならざるほどの者ども、さきにもよく合点いたし*、俳諧話のみ*にて、近所草庵のある所など見歩き、少しもの書きてとらせ候へども、唐紙*など、医者のかたまで才覚に*歩かせ候へども、一枚も御座無く、奉書*に竹などを書きとらせ、三日、次郎兵衛足を休め、拙者も精気を養ひ、幸ひの水*に出会ひ候。次郎兵衛、少し草臥付き申し候ところ、三日休み候に達者になり候て、随分つとめ候。されども、もどり馬*あまり安きには、一里半・二里ばかりづつ乗せ申し候。尾張・伊勢路にかかりては、肩も足も共に強くなり申し候。初旅、奇特に続き申し候。
一、荷兮*へ寄り候て、三夜二日逗留、荷兮よろこび、野水*・越人*同前にて、語り続け申し候。朝飯・夕飯・夜食、一日に三所づつの振舞にて、是非え参らざるかたより音物*それぞれに心をつかひ、例の浮気者*ども騒ぎののしり候。越人かたへは朝飯に参り、夏大根の人参汁、一風流と作をはたらかせ候*。いささか心入れ候ゆゑ、鳴海・宮*へは音信ばかりにて立ち寄り申さず候へば、名古屋まで見舞に参り、鳴海へ引き返すべきよし達て申し候を*、いろいろ挨拶いたし帰し候。名古屋古老の者どもは、少し俳諧も仕下げたるやうに*相見え候。且藁*といふ者は、頃日商ひにかかり、風雅もやめて居り申すよし、てんぽなるうはさなど相聞え候*。中老・若手さかりに勇み、俳諧もことのほか精出だし候ゆゑ、よほど「かろみ」を致し候。秋冬の内、必ず迎ひを立つべきよし、達て申し候。まづ請け合ひ、足早やに伊賀へ立ち越え候。露川かたは荷兮と出会ひこれ無きゆゑ*、逗留の内だまり候て、町はづれ一里余りまで荷兮・越人大将にて若き者ども残らず送り出で、餞別の句など道々申し候。
麦糠に餅屋の店の別れかな 荷兮
(むぎぬかに もちやのみせの わかれかな)
別れ端や思ひ出すべき田植歌 傘下
(わかればや おもいだすべき たうえうた)
そのほか、まづ忘れ候。越人も挨拶など御座候。
荷兮かた別れ候あとを、露川、門人ひとり召し連れ、道にて待ちかけ、佐屋*まで付き参り候て、佐屋に半日一夜とどまり、ふらちなる言ひ捨て*十句ばかり、俳談少々説き聞かせ候。これはもと伊賀の在辺の生れにて候ゆゑ、「年々伊賀へ参り候あひだ、正月ごろ伊賀へ参るべく」と、別れ候。
一、長島大智院留守*ゆゑ、久兵衛殿*へ訪れ、夕飯粥を所望いたし、暮がた大智院帰られ候あひだ、一宿いたし候。藤田殿*は病気のよし承り候ゆゑ、案内申さず。もつとも寂び返りたる小地、誰出合ふ者も御座無きを幸ひのよろこびにて旅立ち候て、久居に一宿にて伊賀へ二十八日に上着、同姓よろこび、旧友土芳・意専・半残*、日夜語りよろこび申し候。蚤・蚊多く、夏中は暮しがたく候ゆゑ、膳所へ出で申し候。いまだ去来にも逢ひ申さず。丈草大津に居られ、盤子は伊勢山田をしこなし*、庵など結び候て、長官一家*の洛中見物など取り持ち候とて、大津へ一夜泊りに参り候ところ、ひしと逢ひ候て*、両夜一日語り、また京へ上り候。孫右衛門*いよいよ声高によろこび、馳走いたし候。茶時分やかましく候ゆゑ*、菅沼殿に逗留分にて候。追つ付け上京、去来にも逢ひ申すべく候。嵯峨の屋敷、小さく改め候よし、これよき閑地に候あひだ、夏中はこれにも居り申すべく候。盆後、伊賀半左衛門*屋敷の中に草庵作り申すべきよし申し候ゆゑ、盆後は八月中旬まで、また伊賀へ越え申すべく候。
一、沾圃会感心*、まづは早速相勤め候段、珍重満足のよし、御申し伝へ下さるべく候。二巻の歌仙*、名のこと、相心得候よし、御申し下さるべく候。追つて、くはしく申すべく候。用事ある御状、読めかね候あひだ、市之丞御書かせ御越し候へと御申し、市之丞作意*、大きに驚き、珍重めでたく候。重ねて委細。 以上
ばせを (書判)
閏五月二十一日
曾良様
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書簡集/年表/Who'sWho/basho
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- 本書簡は、膳所から江戸にいる門弟曾良に宛てた真蹟書簡である。芭蕉最後の大旅行であった上方上りの全旅程が説明されていて、貴重な歴史資料となっている。
同日付けの『杉風宛書簡』と内容は同じであるが、宛先によって表現や事実関係が微妙に異なっているのが面白い。
小川氏:小川風麦。風麦についてはWho'sWho参照。
小田原まで御送りの礼:曾良は芭蕉との最後の別れを、小田原まで見送ることで果たした。誠実な曾良の人柄が良く表れている。
道々も次郎兵衛と申しやまず候:この旅で芭蕉は寿貞尼の息子次郎兵衛を同道した。曾良は、絵が上手で旅のパンフレットを芭蕉らに小田原で別れるときに渡した。それが良く出来ていて、重宝したので、そのことを次郎兵衛と道々話し合ったというのである。微笑ましい。
畑:普通名詞の畑ではない、足柄下郡畑村のこと。
小揚:強力のこと。
松平淡路殿金谷に御泊り:阿波藩主。参勤交代の一行に巡り合ってしまったのである。
孫兵衛:如舟のこと。孫兵衛についてはWho'sWho参照。
川奉行役:大井川の川渡りを差配する責任者。
当年の大水:今年最高の出水で、の意。
さきにもよく合点いたし:俳諧に熟達していない如舟達のこととて、句会を催すというわけにもいかないが、そのことを本人達も良く心得ていて、の意。
俳諧話のみ:ただ俳諧の話だけで、句は作らずに、の意。
唐紙:<とうし>と読む。中国渡来の紙で、画用紙として使われた高給紙。この時代、紙そのものが高級で、なかなか手に入らなかった。
才覚に:唐紙が無いかと医者の所にまで工面にいかせた。
奉書:楮を原料とした和紙。
幸ひの水:大井川の川止めで思いがけない休息が取れたのである。
もどり馬:目的地からの帰りの馬はお客が無くても帰らなければならないので割引運転をしたのである。
荷兮:Who'sWho参照。
野水:Who'sWho参照。
越人:Who'sWho参照。
是非え参らざるかたより音物:音物<いんもつ>とは贈り物のこと。時間が無くて芭蕉が訪れられない家では主人が贈答品持参した。
例の浮気者:荷兮らは芭蕉の俳諧革命についていけず分派活動を始めていた。そのことで尾張蕉門は後に分裂していったのである。その荷兮一派が芭蕉を歓待するので、露川などの一派は少々調子が狂ってしまったのであろう。
作をはたらかせ候:なかなかに風流を凝らした料理を出してくれた。
宮:名古屋熱田のことで、熱田の門人桐葉亭を指す。
達て申し候を:名古屋に来て欲しいと何度も何度も言うこと。
少し俳諧も仕下げたるやうに:少々俳諧の腕が下がったように見える、の意。
且藁:<たんこう>と読む。杉田且藁、尾張門人の一人。
てんぽなるうはさなど相聞え候:「てんぽう」は、ちゃらんぽらんのこと。
荷兮と出会ひこれ無きゆゑ:露川は、不仲の荷兮と顔を合さないようにしていた。
佐屋:尾張領佐屋村。
ふらちなる言ひ捨て:あまり立派でない作品の意。この折りは、露川・素覧と半歌仙を巻いている。だから事実は16句である。
長島大智院留守:三重県長島町の大智院住職秀精。曾良の伯父。『奥の細道』の後、伊勢神社に向かった折もここに芭蕉は投宿している。
久兵衛殿/藤田殿:いずれも不明。文脈からして曾良もよく知っている人物であることは間違いないのだが、・・・
しこなし:勢力を及ぼしている、の意。
長官一家:伊勢神宮の内宮及び下宮の長官。それぞれの神主を執り仕切る最高の勢力者。荒木田氏及び度会氏。
ひしと逢ひ候て:偶然会った、の意。
孫右衛門:水田正秀。Who'sWho参照。
茶時分やかましく候ゆゑ:茶摘みの季節がやってきて、随分忙しいので、の意。これを避難して曲水亭に移ったのである。曲水についてはWho'sWho参照。
伊賀半左衛門:兄松尾半左衛門。屋敷内に土芳らが中心になって芭蕉のための草庵を建築した。芭蕉は、この夏盂蘭盆を中心に秋までそこに滞在したのが、郷里伊賀上野の最後になった。
土芳・意専・半残:Who'sWho参照。
沾圃会感心:沾圃が句会を主催したときの作品を芭蕉に送ってきたが、その出来栄えと主催したことを褒めている。その会は、桃隣が発句を付けた。沾圃についてはWho'sWho参照。
二巻の歌仙:江戸在住中に芭蕉が沾圃・馬筧<ばけん>・里圃<りほ>らと巻いた四吟歌仙のことで、その名前を『続猿蓑』としたことの了解。
市之丞作意:市之尉の作った句は、びっくりさせるもので大変よろしい、の意。ただし、市之丞は不明。彼に、直接手紙を寄越すように依頼している。