木曽塚で越年して元旦にはそこから湖水の眺めを見たいというので時期は元禄2年の年末である。「不易」を説いていて芭蕉年譜上重要な書簡である。
御飛札並小帋二束:<ごひさつならびにこがみふたたば>と読む。「飛札」は、飛脚が届けた郵便のこと。「小帋」は鼻紙などの雑紙のことだが、当時は貴重なものであった。
被レ懸二芳慮一辱、目出度受納不レ浅令レ存候:<ほうりょにかけられかたじけなく、めでたくじゅのうあさからずぞんぜられそうろう>と読む。御心をかけられ、頂いたことを深く感謝します、の意。
定而御牢人衆之御内にて可レ有二御座一候:<さだめてごろうにんしゅうのおうちにてござあるべくそうろう>と読む。「御牢人」は浪人で失職した武士。上の病人を指すが詳細は不明。
江戸より五つ物到来珍重:江戸の其角から去来宛に「五つ物」が届いたのは結構なことだという。ここに「五つ物」は、発句・脇・第三までの連句を5組並べたもの。
ゆづり葉:其角の句「ゆづり葉や口に含みて筆始」を指す。ユヅリハは若葉が育ってから古い葉が落葉するので後継者が育つまで先代が元気であるとしてめでたい木とされている常緑樹。
彼義(儀)は只今天地俳諧にして万代不易に候:<かのぎはただいまてんちはいかいにしてばんだいふえきにそうろう>と読む。俳諧のことは、現在の天地のことを詠んで、そのことが未来永劫に共感される普遍なものであるべきだ、の意。
ゆづり葉を口にふくむといふ万歳の言葉:万歳芸人が門つけのときに、ユヅリハを口にくわえ、五葉松の枝を手に持っている。そのようなことは子供でも知っているというのである。
其上文字の前書、今は凡士之手に落、前書に而人を驚かすべきやうに而、正道にあらざるやうに候:<そのうえもじのまえがき、いまはぼんしのてにおち、まえがきにてひとをおどろかすべきようにてせいどうにあらざるようにそうろう>。其角の上のユヅリハの句には「手握蘭口含鶏舌」と漢語で前書が書かれているがこのために凡俗なものになってしまったと批判している。