江戸から膳所の菅沼曲水宛に書いた書簡。曲水からの返書に対する返書の形を取っている。1年夕半に及ぶ湖南を中心とした生活を終えて帰ってきた江戸からのもの。この頃、芭蕉はしばらくの間住む家が無く仮住まいを余儀なくされた。「草の戸も住み替る代ぞ雛の家」と詠んだ第2次芭蕉庵は人手に渡っていたため、杉風らが奔走して買い戻そうとしたが果たせなかったという。
常々の御厚恩は胸に有ながら、御暇乞もさだかならず:何時も感謝の念は胸に有るのですが、お別れの挨拶もろくにせずに、(出てきてしまって)、の意。
短き手紙一つに而埒明候も:<みじかきてがみひとつにてらちあけそうろうも>と読む。短いお別れの挨拶状一本で済ましてしまったのも、の意。
悟リ中間の仕方のやうにうるさく覚申候へ共:<さとりちゅうげんのしかた・・・おぼえもうしそうらえども>と読む。生悟りのようなおもしろくないように思われるが、の意。
松茸・御所柿は心のまゝに喰ちらし、今は念の残るものもなしと:<まつたけ・ごしょがき・・>と読む。松茸や御所柿はもう十分に頂いて、心残りなものとて何も有りません、の意。御所柿は、甘柿の一種。(晩秋になると控えめな甘みがでてきて実においしい。筆者の母の里に有って大好物であった。)
盤子に被レ遣候御返翰:「盤子」は支考のこと。支考は、芭蕉・桃隣一行の後を追って来たが、熱田で二人に追い着いた。その折、本文記載の芭蕉の別れの挨拶状に対する曲水からの返書を預ってきたのである。
珍碩文に三とせの厚情不レ残(浅)と書たる:<ちんせきふみに・・・こうじょうあさからずと・・>と読む。珍夕の手紙では3年間の私の厚情浅からずなどとありますが、(それこそ話が逆であります)、の意。
何とぞ今来年江戸にあそび候はゞ、又又貴境と心指候間:<・・、またまたききょうとこころざしそうろうあいだ>と読む。あと2、3年間江戸に滞在したらば、また膳所へ帰りますので、の意。
偏に膳所之旧里のごとくに存なし候:<ひとえにぜぜこれをきゅうりのごとくなし>と読む。膳所は私にとって故郷のようなものでありますから、の意。
竹助殿煩無二御座一様にと奉レ存候:<たけすけどのわずらいござなきようにとぞんじたてまつりそうろう>と読む。「竹助」は、曲水の息子であろう。
珍碩目保養無二油断一様に御心そへらるべく候:<ちんせきめのほようゆだんなきようにおこころそえらるべくそうろう>と読む。珍夕には眼病があったらしいことがこれから分かる。
尚尚いまだ居所不定候:<なおなおいまだきょしょさだまらずそうろう>と読む。芭蕉は番町にこの頃は住み、やがて第3次芭蕉庵に移住する。
其角に遭申、先御噂申出し候:<きかくにあいもうし、まずおうわさもうしだしそうろう>と読む。其角に会って、皆さんの噂をしたところです、の意。