伊賀上野の門人窪田猿雖(意専)宛書簡。猿雖が江戸へ旅をして無事伊賀へ帰ってきたことを喜んで書かれた一通。発信場所は京都市中らしい。
處々御一覧、御帰宿被レ成候哉:<ところどころごいちらん、ごきしゅくなされそうろうや>と読む。あちこち見物されて、御帰りのことでありましょう、の意。
もはや頃日はと推察申候:<・・けいじつはとすいさつもうしそうろう>。今ごろはもう伊賀上野にお帰りになったことと拝察しております、の意。
かみさまよりも念比忝存候:<・・ねんごろかたじけなくぞんじそうろう>と読む。芭蕉が伊賀に滞在中、意専の妻がよく面倒を見てくれたのが忝けないというのである。
道中之風流、虱之侘、扨扨御物語承度候:<どうちゅうのふうりゅう、しらみのわび、さてさておんものがたりうけたまわりたくそうろう>と読む。旅行中の風流や俳諧のことなど御伺い致したいものです、の意。
宗五も折節上京、留守に而、手筈ちがひ候半と存候:宗五は曾良のこと。曾良は、意専が江戸に旅していた頃の元禄4年3月から7月頃まで畿内を旅していた。だから江戸では、曾良は留守で会えずに予定が狂ったことであろう、の意である。
御願珍重珍重、御手柄に御座候:<ごがんちんちょうちんちょう、おてがらにござそうろう>と読む。江戸旅行の願が成就して、良かったですね、の意。
拙者相替候事無二御座一、頃日は嵯峨去来下やしきに居申候:<せっしゃあいかわりそうろうことござなく、けいじつはさがきょらいしもやしきにおりもうしそうろう>と読む。この時期、芭蕉は去来の嵯峨の落柿舎で『嵯峨日記』を執筆中であった。
養レ閑、竹の子を給申候:<かんをやしない、たけのこをたべもうしそうろう>と読む。休養し、嵯峨野のおいしい竹の子を沢山食べておりました、ぐらいの意味。実際は、嵯峨が孟宗竹の名産地である。
宗七殿:窪田惣七(宗好)。猿雖(意専)の親戚。Who'sWho参照。