芭蕉db

尚白宛書簡

(元禄元年12月5日 芭蕉45歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


襟巻に首引入て冬の月         杉風

火桶抱ておとがい臍をかくしけり    路通

此作者は松もとにてつれづれよみたる狂隠者、今我隣庵に有*。俳作妙を得たり。

雪ごとにうつばりゆがむ住ゐ哉    苔翠

冬篭又依りそはん此はしら      愚句

菊鶏頭切尽しけりおめいこう     愚句

句はあしく候へ共、五十年来*人の見出ぬ季節、愚老が拙き口にかかり、若上人真霊あらば我名ヲしれとぞわらひ候*。此冬は物むつかしく句も不出候。 以上

芭蕉子

  尚白様


 長文の書簡の殆どを失った尚白に宛てた断簡である。句を強調するために、誰かが表装時に切り取ってしまい、残りは散逸したものと思われる。
 この秋頃の作について、謙遜しながらも、並々ならぬ自信を露呈もしている。そういえば、明ければ元禄2年『奥の細道』につながる、芭蕉生涯のクライマックスに今至ろうとしているのである。

此作者は松もとにてつれづれよみたる狂隠者、今我隣庵に有:この「作者」とは路通のこと。路通についてはWho'sWho参照。「松もと(本)」は、滋賀の大津のこと。「つれづれ」は『徒然草』のことで、路通が古典に精通していたことを指す。その路通は、この時芭蕉庵近くに住んでいたのである。

五十年来:貞門俳諧以来の50年間、の意。「御命講」は季題として過去に無いものであった。

若上人真霊あらば我名ヲしれとぞわらひ候:<もししょうにんしんれいあらば・・・>と読む。ここに上人は日蓮を指す。冗談に託しているものの、「御命講」という過去に無いコードを発見することで、一つの情緒を顕にすることに成功した、と言う自負がここには漲っている。