(元禄3年6月26日 芭蕉47歳)
書簡集/年表/Who'sWho/basho
大津の浜田洒堂/珍夕(碩) 宛書簡。洒堂は後に医業を捨てて大坂に出て俳諧師になるが、この時期は未だ大津にいた。洒堂一家とのやり取りもあって、ほのぼのした書簡。
此中はゆるゆる逗留仕忝:<このじゅうはゆるゆるとうりゅうつかまつり>と読む。先日はゆっくり逗留させて頂きました、の意。
御袋様:貞春という名前。よく話題に上る母親、洒堂の親子関係のよさか? なお、「おせん」は姉か?
御心得被レ成可レ被レ下候:<おこころえなされくださるべくそうろう>と読む。よろしくお伝え下さい、の意。
明日比、喜兵へ殿へ御同道、待入申候:<あすごろ、きへえどのへごどうどう>と読む。喜兵衛は怒誰のこと。あしたは、怒誰宅にご一緒しますのでお待ちしています。
廿八日比は辛崎参可レ致候:<28にちごろはからさきまいりいたすべくそうろう>と読む。「辛崎」は大津の唐崎明神を指す。
打がみ:槌で打って艶を出した紙。