(越後路 元禄2年6月25日〜7月12日)
聴信寺 (牛久市の森田武さん撮影)
直江津にある「文月や六日も常の夜には似ず」の句碑 (写真提供:牛久市森田武さん)
「荒海や・・」の句碑 (写真提供:牛久市森田武さん)
酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望。:<さかたのなごりひをかさねて、ほくろくどうのくもにのぞむ>と読む。北陸道は現在の国道とほゞ同じで、新潟・富山・石川・福井を結ぶ。
遙々のおもひ胸をいたましめて、加賀の府まで百丗里と聞:<ようようのおもい・・、かがのふまで130りときく>と読む。加賀の府は金沢のこと。そこまで520kmもあると聞けばさまざまな思いが胸に迫ってくる。
暑湿の労に神を悩まし:<しょしつのろうにしんをなやまし>と読む。「荒海や・・・」の句のような、大作をものしながらここの記述は短い。曾良『随行記』にも芭蕉が病んだ記述が無いことから、「病おこりて」の記述は嘘らしい。柏崎や直江津では芭蕉の待遇について手落ちがあって気分を著しく害した。そのためにここでの記述が省略されたのである。門人たちの心得が悪かったか、芭蕉への尊敬の念が薄く、後世新潟は大損をした。 売れ行き障害
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酒田では、名残を惜しんでつい長居をしてしまったが、ようやく北陸道の旅路についた。
加賀の府金沢まで五百二十キロと聞けば、その旅路のはるけきこと、万感胸に迫る。鼠の関を越えて、越後に入り、そこを過ぎれば越中の国市振の関へと至る。この間九日。暑さと雨の難に精神は疲労し、加えて体調を崩す。ために、記すべき記録を持たない。
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天河