伊賀上野に滞在中の芭蕉から渥美半島保美に幽閉中の杜国へやった書簡。萬菊丸は、『笈の小文』の忍びの旅の折につけた名前。わざと宛先を杜国とせず萬菊丸としたもの。途切れていた杜国からの音信に不安を抱いた芭蕉が書いた書簡である。正月か2月には伊賀上野に来るように誘っている。これに対して杜国からの返書があったか否かは不明であるが、杜国はこの春元禄3年3月20日には不帰の人となった。 芭蕉の杜国への激しい思慕が感じられる一通。
されども名古屋の文に:杜国からではないが、名古屋の他の門人達からの手紙を指す。それによれば杜国は元気であると推量されるというのだが・・・
宗七も御噂申斗に候:<そうしちもおうわさもうすばかりにそうろう>と読む。宗七は貴方の噂ばかりしていますよ、の意。宗七(宗好)についてはWho'sWho参照。