芭蕉DB

松尾半左衛門宛書簡

(元禄7年9月23日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 かれこれつかまつり、いまだ書状を以て申し上げず候*。いよいよご堅固に御座なされ候や、承りたく存じ奉り候。頃日、意專*よりたより御座候て、そこもと相変る儀御座無き旨は、相伝へられ候。わたくし、南都に一宿、九日に大坂へ参着、道中に、又右衛門かげにて*、さのみ苦労もつかまつらず、なぐさみがてらに*参り着き申し候。大坂へ参り候て、十日の晩より震ひ付き申し、毎晩七つ時より夜五つまで*、寒気・熱・頭痛参り候て、もしは瘧*に成り申すべきかと薬食べ候へば、二十日ごろより*、すきと止み申し候。それにつき、心むつかしく、早々ご案内も申し上げず、やうやう亀屋・博多屋*へ今二十二日に見舞ひ、をりふし京屋*くだられ候あひだ、啓上つかまつる。いまだ逗留も知れ申さず候へども、長逗留は無益のやうに存じ奉り候あひだ、二三日中に長谷・名張越えにて参宮申すべくと存じ奉り候。相変ること御座無く候へども、御案内のため、かくのごとくに御座候。又右衛門かたへ、別紙に及ばず候あひだ、慮外ながら御心得あそばされ下さるべく候。以上

桃青

九月二十三日

松尾半左衛門様

なほなほ、ばば様*・およし*、御心得たのみ奉り候


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 この書簡は、郷里を後にした後の様子を報告する形で兄半左衛門宛に書いたものである。この書簡を書いている芭蕉はすでに体力は落ち、余命幾許も無く、本人は死を予感していた。それなのに兄に心配をかけまいとしてこのように精いっぱい普通を装った手紙を書いている。同日付けで『意専・土芳宛書簡』がある。