大垣門人宮崎荊口に宛てた書簡。たまたま、「閉関」の後、芭蕉は大垣藩邸に濁子らを訪ねて一宿した。ここから大垣藩士の荊口にこの書簡を書いたのである。
度々御細翰、御老筆御いとひも不レ被レ成:<たびたびごさいかん、ごろうひつおいとい もなされず>と読む。度々のお手紙、ご老体をおしてお寄せくださり、の意。
朝暮風情老養之御志不レ浅感心仕事に御座候:<ちょうぼふぜいろうようのおこころざしあさからずかんしんつかまつることにござそうろう>と読む。日々隠居の身を俳諧に勤しんでおられるとのこと、大いに感心いたしています、の意。
残生夏中甚暑に痛候而、頃日まで絶二諸縁一:<ざんせいなつじゅうじんしょにいたみそうろうて、けいじつまでしょえんをたち>と読む。「残生」は一人称別称。元禄6年の夏は猛暑であった。芭蕉は、桃隣の死などもあって心身不調となり面会謝絶の「閉関」した。
如行交会之哥仙感吟:<じょこうまじわりかいのかせんかんぎん>と読む。如行の主催した歌仙での作が大変よい。特に若い人達の上達が頼もしいが、如行や荊口のも大変よいと言うのである。「若手」とは如行の子息たちのことであろう。
於二拙者一悦不二大形(方)一候:<せっしゃにおいてよろこびおおかたならずそうろう>と読む。上のことで、大変うれしい、の意。
少々存知寄も御座候間、兼而御工夫被レ成而御見せ可レ被レ成候:<しょうしょうぞんじよりもござそうろうかん、かねてごくふうなされておみせなさるべくそうろう>。少し計画していることもあるので、頑張ってよい作品を見せてください、之意。芭蕉は、一巻の出版を考えていたらしいことが伺える。
其元風雅とりどりのよし、是又一風流:<そこもとふうが・・、これまたいちふうりゅう>と読む。大垣では人それぞれに俳諧を楽しんでいるというのですが、これもまた一つの風雅というものです、の意。
幸に如行が精力の便に御座候間:<さいわいにじょこうがせいりょくのたよりにござそうろうかん>と読む。幸い大垣では如行が大変熱心に修業していますから、彼と仲良く競いながら修業してらよいでしょう、の意。
此筋・千川・左柳子より預二進墨一候へ共:<しきん・せんせん・さりゅうしよりしんぼくあずかりそうらえども>と読む。かれら3人から手紙をもらっていますが、返事を出していないというのである。
いまだ何角と取紛、夏秋之を(お)こたり共重漬(積):<いあまだなにかととりまぎれ、なつあきのおこたりどもかさねつみ?>と読む。閉関のために諸事怠っていましたから、何もかも積み重なってしまいまして、の意。
自レ是無音仕候共、若役に随分御状つヾけられ、風雅御見せ可レ被レ成候:<これよりぶいんつかまつりそうろうとも、わかやくにずいぶんごじょうつづけられ、ふうがおみせなさるべくそうろう>と読む。私は時間が無いのでお手紙は出しませんが、若い人達の役に立つように貴方は私に手紙を書いて、皆の出来ばえを報告してください、といった意味。
折ふし甚五兵へ殿・儀太夫殿御見舞一宿候次手、如レ此御座候:<おりふしじんごべえどの・ぎだゆうどのおみまいいっしゅくそうろうついで、かくのごとくにござそうろう>。ちょうど濁子と凉葉を大垣藩邸に訪問して一泊したついでにこの手紙を書いています、の意。手紙は書いてもそれを届ける便が無いと届かない。大垣藩邸なら荊口への便はあるはずだったのである。なお、この折の句と思われる「芹焼や裾輪の田井の初氷」がある。
千川子瘧久々御煩、いまほどは御快然珍重存候:<せんせんしおこりひさびさおんわずらい、・・ごかいぜんちんちょうにぞんじそうろう>と読む。千川子は荊口の息子。
嵐蘭病死之事は庄兵へ殿へ申参候由、御聞及可レ被レ成候:<らんらんびょうしのことはしょうべえどのへもうしまいりそうろうよし、おききおよびなさるべくそうろう>と読む。嵐蘭がこの夏病死したことは庄兵衛へ伝えられたそうですから、すでにお聞きおよびとは思いますが、の意。庄兵衛は文脈から大垣藩士らしいが詳細は不明。
此筋子も御懇意候間、笑止に可二思召一候:<しきんしもごこんいにそうろうかん、しょうしにおぼしめすべくそうろう>と読む。此筋も嵐蘭についてはよく知っている中なので、悲しんでおられることでしょう、の意。「笑止」は現代語と異なり、気の毒の意。
愚句他郷へ不レ出様に御覚悟被レ成可レ被レ下候。むさと集に入候に迷惑仕候:<ぐくたきょうへいでざるようにおかくごなされくださるべくそうろう。むさとしゅうにいれそうろうにめいわくつかまつりそうろう>。上記の私の句については、よそにお見せになりませんように。むやみに私の句を句集に入れてしまうので迷惑しています。この時代、著作権が簡単に侵害されていたのである。
彦根許六繪色帋いまだ不レ参候よし、御せは被レ成早々被レ遣可レ被レ下候:<ひこねきょりくえしきしいまだまいらざるよし、おせわなされそうそうつかわされくださるべくそうろう>と読む。許六は彼の絵に蕉門の古参の者達から賛を入れてもらう所存であった。その色紙が荊口にまだ届かないそうなので催促を如行と一緒にやったらよいというのである。