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(しばのとに ちゃをこのはかく あらしかな)
芭蕉は青雲の志を持って江戸に下り、ついに3年前、念願の俳諧師匠として立机したものの、この 文芸の世界も金と名誉欲の渦巻く俗世界そのもの。絶望した芭蕉は、9年の江戸市中の生活を捨ててここ深川の草庵(後に芭蕉を植えて芭蕉庵となる)に隠棲してしまう。その 折の、世間に対する決別の辞がこの一文。この作品は芭蕉庵で書いたことが判明している。 なお、この深川隠棲については『幻住庵の記』も参照。
草の戸に茶を木の葉掻く嵐哉