芭蕉db
(元禄3年4、5月頃 芭蕉47歳)
又七様 芭蕉
大津の又七こと川井乙州宛書簡。受理したのは幻住庵滞在中。乙州からの近況報告に対する返書の形式である。乙州はこの後、加賀に行くこと、芭蕉はそろそろ幻住庵を出たいことなどが記されている。末尾に不明個所が有る。
乍二御報一拝見、近々伊賀へ御越申候由:<ごほうながらはいけん、きんきんいがへおこしもうしそうろうよし>と読む。乙州が伊賀に出かけること。
兎角御帰り之節、下り候而可レ得二御意一候:<とかくおかえりのせつ、くだりそうろうてぎょいをうべくそうろう>と読む。貴殿が伊賀から帰ってきたら、私も幻住庵から下ってお会いしましょう、の意。「下る」は庵を後にすることを含意しているものと思われる。
爰元も少々退屈いたし候へ共、何角に被レ障延引致候:<ここもともしょうしょうたいくついたしそうらえども、なにかにさわられえんいんいたしそうろう>と読む。幻住庵に退屈し始めたが、どういうわけか行動を起すのがおっくうで一日延ばしになっています、の意。
如レ仰追付加州御下り、間も無二御座一候:<おおせのごとくおっつけかしゅうおくだり、まもござなくそうろう>と読む。乙州が加賀に行くまでにもうあまり時間も無いですね、の意。
兎角此度も染みじみとは被レ得二御意一まじく候:<とかくこのたびもしみじみとはぎょいをえまじくそうろう>と読む。あまりゆっくりとお話するような時間はありません、の意。
松寿坊庵風景之事:<しょうじゅぼうあんふうけいのこと>と読む。「松寿坊」は乙州・智月の関係者の名らしいが不祥。その人の所有する庵からの風景が(すばらしい)のであろう。そして、この後幻住庵を出て芭蕉はそこへ移ることを考えていたのかもしれない。
智月尼御伝言忝存候:<ちげつにごでんごんかたじけなくぞんじそうろう>と読む。智月尼は、乙州の母。乙州からの前便に智月の心のこもった伝言があったのであろう。