芭蕉db
千子が身まかりけるを聞きて、美
濃の国より去来がもとへ申しつか
はし侍りける
無き人の小袖も今や土用干
(猿蓑)
(なきひとの こそでもいまや どようぼし)
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貞亨5年夏。美濃から去来宛に送った書簡。千子<ちね>は去来の妹千代で芭蕉の門人。貞亨5年5月15日、婚家にて死去。辞世の句「
もえやすくまた消えやすき蛍かな
」。妹の死を悼んで去来は、「
手の上に悲しく消ゆる蛍かな
」と詠んでいる。 「手の上に」とは去来のこまやかな愛情にあふれた、哀しいやり取りである。
無き人の小袖も今や土用干
土用は、一年に4回あるが、ここでは立秋前の18日間を言っている。この時期、衣類を出して虫干しをするのだが、千子の死んだこの夏は故人の小袖の整理をしていることでしょう。土用前に亡くなった人があれば、その年の土用干しは故人の持ち物の整理と形見分けをすることになる。去来にとって悲しみも新たな土用干しであったのである。
群馬県佐波郡堺町 能満寺境内の句碑(牛久市森田武さん提供)