幻住庵在庵中の元禄3年6月30日、江戸勤番中の曲水からの書簡への返書。曲水は、芭蕉に幻住庵を斡旋した人。その留守宅の状況を伝えて安心させようとしたり、幻住庵の山の冷気が芭蕉に苦痛を与えているにもかかわらず京都の暑さに比べて幻住庵のよさを強調することで曲水に心配させないように配慮している。しかし、そろそろ幻住庵を出ることが予告されてもいる。芭蕉の幻住庵の隠棲は必ずしも静かな生活ではなく京大坂は勿論、地元大津や名古屋の門人達の往来頻繁で落着かない庵住まいであったことが分る。この直後の元禄3年7月23日、芭蕉は幻住庵を出た。
當四日・十四両通之貴簡無レ恙落手:<とうよっか、じゅうよんりょうつうのきかんかたじけなくらくしゅ>と読む。4日と14日と江戸の曲水から書簡が来たのであろう。
舒巻対顔の思をなし、御懐敷奉レ存候:<じょかんたいがんのおもいをなし、おなつかしくぞんじたてまつりそうろう>と読む。手紙を開封するや否や貴方に御会いしたような気分になり懐かしく思いました、の意。
先御堅固御勤仕、珍重不レ過レ之ぞんじ候:<まずはごけんごにおつとめつかまつり、ちんちょうこれにすぎずぞんじそうろう>と読む。
猿の腰かけに月を嘯:<さるのこしかけにつきをうそぶき>と読む。猿の腰かけは茸のそれではなくて、『幻住庵の記』に「・・・うしろの峰に這ひ登り、松の棚作り、藁の円座を敷きて、猿の腰掛けと名付く」とあるとおりである。ここに腰掛けて秋の月を眺めているというのである。
椎の木陰にとう焉吹虚の気を養ひ:<しいのこかげにとうえんすいきょのきをやしない>と読む。椎の木陰は「先づ頼む椎の木も有り夏木立」の椎。幻住庵の前にすっくと立っていた。「とう焉吹虚の気」は心の中を空っぽにした状態をいう。『荘子』より。
御立後大津にしばし遊び候而、庵の狸の穴などふさがせ:曲水が4月に江戸に出発した後、膳所の義仲寺の無名庵に行って、狸が入らないように穴を塞いだりするのに3、4日そこに滞在したというのである。
其後本福寺:堅田の本福寺。住職は千那である。
尚白:<しょうはく>は、千那の友人で大津蕉門の人。Who'sWho参照。
甚暑京へおもひかけず奉レ存候處に:<じんしょきょうへ・・>と読む。夏には格別に暑い京都へ行くなどとは思ってもみないところへ、の意。
去来・加生数々状さし越候故:<きょらい・かせいかずかずじょうさしこしそうろうゆえ>と読む。去来はWho'sWho参照。加生は凡兆の古い俳号。二人から頻りに出京を促してきたので、の意。
如行:美濃大垣の門人。如行は京滞在中の芭蕉を訪ねた。如行についてはWho'sWho参照。
大坂よりもいまだしらざる者:之道のことか。
志は真実を誉申候:<こころざしはまことをほめもうしそうろう>と読む。凡兆の俳諧に対する志は真摯で、称賛に値するのだが、の意。
厚情不レ浅候段々云て、慰之為見物にも折々出申候:<こうじょうあさからずそうろうだんだんいいて、なぐさみのためけんぶつにもおりおりいでもうしそうろう>と読む。芭蕉が苦労しているのがよく分る。
幻住庵に両宿、目を驚し帰り申候:京から幻住庵に同道した如行が幻住庵に2泊したが、幻住庵からの景観にかれは目を丸くしたという。
秋中みの(美濃)へ迎の心にて尋来候に付:如行が京都まで来たのは秋までに大柿に来てほしいと云う要望を伝えるためであったのだから、の意。
十月と申も今の事にて御座候:如行に、10月にも美濃へ行けるかもしれないと答えてはいますが、それも今はそう思っているというに過ぎず、そのとおりになるかどうか分りません、の意。芭蕉は、すでに先の如行宛書簡では、今年は伊賀で越年だとも書いている。
折節高橋殿懸二御目一:<おりふしたかはしどのにおめにかかり>と読む。高橋殿は、曲水の弟「怒誰」のこと。
越人:越人は名古屋の門人。彼が来たらきたで又貴方の話が出るでしょうね、の意。
又重而は去来□□聖護院村のはずに御座候:<またかさねてはきょらい しょうごいんむらのはずにござそうろう>と読む。意味不明。去来が聖護院に住んでいる、と芭蕉は推量している。