芭蕉db

如行宛書簡

(元禄3年4月10日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


旧臘之御帖(状)伊賀へ相達シ*、三月十八日之御帖、頃日尚白より膳所へ被届、致拝見*。先々御無事之由珍重被存候。歳旦之引付京板之よし*、一段御手柄に而御座候。尋候へ共、しかじか見不申候間、重而帳一冊、可被懸御意*。御発句は承候。尤に存候。戸田氏より貴墨被御意、則返翰御届ケ可下候。様々御噂不絶候。荊口より申来、誠に以忝奉存候。何とぞ盆過迄は其元へと存罷有候。持病下血などたびたび、秋旅四国・西国もけしからずと、先おもひとヾめ候。乍去、備前あたりよりかならずとまねくものも御座候へば、与風* 風にまかせ候ま而難定候。冬籠は旧里にいとなみ可申候よし、伊賀の門人共、達而ねがひ候へば、いまだ江戸への趣不定候。若今秋其元はづれ候とも、武陽之下向之節は必々立寄可申候。此度住る處は石山の後ろ、長良山之前、国分山と言處、幼(幻)住庵と申破茅、あまり静に風景面白候故、是にだまされ、卯月初入庵、暫残生を養候。比良・三上・湖上不残、勢田の橋めの下に見へて、田上山・笠とりに通ふ柴人、わが山の梺をつたひ、岩間道・牛の尾・長明が方丈跡も程ちかく、愚老不才の身には驕過たる地にて御座候。されども雲霧山気病身にさはり、鼻ひるにかかりてゐ申候へば、秋末まではこたえかね可申候。身骨弱に而、つま木拾ひ清水汲事はいたみて口惜存候。兎角御見舞可忝候。越人*も可参よし申来候。野水*は一宿に参、驚帰候。
     卯月十日                          はせを
   如行様

 大垣蕉門の如行からの書状に対する返翰。幻住庵から出したものである。全体、『幻住庵の記』に出てくる眺望や位置の説明で、作品の草稿が見えてくる。四国や西国への旅は健康上の理由から諦めたといいながらも断ち切れない想いも表白されていて興味深い。