芭蕉db
(元禄3年4月6日〜7月23日 47歳)
(庵の位置と謂れ)
そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし:その昔、国分寺が置かれたというので 国分山にはこの名が残っているという。なお、国分寺とは、天平13年(741)聖武天皇の勅願により、国分尼寺とともに国ごとに建立された官寺。正式には金光明四天王護国之寺という。国内の僧尼の監督に当たり、また朝廷の特別の保護があった。奈良の東大寺を総国分寺とする(『大字林』より転載)。
両部光をやはらげ:両部は両部神道=神仏混淆をいう。一文は、『老子』に「その光を和らげ、その塵を同じうする」とあるによる。ここでは、八幡宮は神道であるが、本尊は阿弥陀如来、つまり神仏混交のお宮。
日ごろは人の詣でざりければ、いとど神さび:いつもはお参りする人もないので、そのさびれた様子が一層神聖な感じさえして、の意。
あるじの僧なにがし:俗名が菅沼修理定知。膳所藩士で菅沼外記定常の叔父にあたる。法名、幻住宗仁居士。この8年前に他界したという。 その後、荒れるにまかせて、狐や狸の住まいになっていたと言う。
いしやまのおく、いわまのうしろにやまあり。こくぶやまといふ。そのかみこくぶんじのなを つたうなるべし。ふもとにほそきながれをわたりりて、すいびにのぼること3きょく200っぽにして、はちまんぐうたたせたまふ。しんたいはみだのそんぞうとかや。 ゆいいつのいえにははなはだいむなることを、りょうぶひかりをやはらげ、りやくのちりをおなじゅうしたまうも、またとうとし。ひごろはひとのもうでざりければ、いとど かむさび、ものしずかなるかたはらに、すみすてしくさのとあり。よもぎ・ねざさのきをかこみ、やねもりかべおちて、こりふしどをえたり。げんじゅうあんという。あるじの そうなにがしは、ゆうしすがぬまうじきょくすいしのおじになんはべりしを、いまはやとせばかりむかしになりて、まさにげんじゅうろうじんのなをのみのこせり。