芭蕉db
此筋・千川宛書簡
(元禄3年4月10日)
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書簡集/年表/Who'sWho/basho
- 御状かたじけなく拝見致し候。いよいよ御堅固に御勤め、ご両親様*御息災、珍重これに過ぎず候。拙者も頃日膳所へ出で申し候て、幻住庵と申す庵に休息、遠境覇旅の思ひ*をとどめ申し候。内々春中そこもとへ参り、貴様江戸前に*と存じ候へども、あまり風景をかしき所ゆゑ、わりなくとどまり候。をりをり俳諧なされ候や、少々うけたまはりたく候。旧臘の雪の句*御書き伝へ、感吟致し候。歳旦等かねて如行版木に御入れ候*、いまだ見申さず候。愚句*御覧なされ候よし、させることも御座無く候へども、出だし申し候*は、遠境書状の通じ知れかね候ゆゑ、無事と有りどを知らせんために版木に顕し、また一つは、京の門人去来などいふ者にそそのかされて申し出だし候。五百年来昔、西行の『撰集抄』*に多くの乞食をあげられ候。愚眼ゆゑよき人見付けざる悲しさに*、再び西上人をおもひかへしたるまでに御座候。京の者どもは、「薦被りを引付の巻頭に何事にや」と申し候由*、あさましく候。「例の通り京の作者つくしたる」*と、沙汰人々申すことに御座候*。膳所の三つ物*、今少し致させやうも御座候へども、分限相応の心につとめたる句*ども致させ候。なほ、俳諧・発句、重くれず持つてまはらざるやうに*、御考案なさるべく候。当春の句ども、別紙に書き付け進じ候。江戸へ御遣しなさるまじく、版行に入るるに困りはて候*。そこもと門人衆のみ、御詮議なさるべく候。
一、千川子、別屋御拝領の由*、こうれも見申したく候。
以上
卯月十日 山翁芭蕉
此筋雅丈
千川雅丈
なほなほ、市右衛門様*へ然るべく頼み奉り、このたび状数(不明個所)且つまた、路通正月三日立ち別れ、その後、逢ひ申さず候。頃日は用事これ有り、江戸へ下り候由にて、定めて追つ付け帰り申すべく候。
書簡集/年表/Who'sWho/basho
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国分山の麓の「幻住庵」に芭蕉が入ったのが元禄3年4月6日のこと。この書簡が書かれたのが4月10日とあるから、この手紙は幻住庵で書かれたもの。此筋・千川兄弟に宛てた。
- ご両親様:二人の父は荊口。
遠境覇旅の思ひ:旅に出たい気持ちのこと。
愚句:「薦を着て誰人います花の春」をさす。
貴様江戸前に:あなたが江戸へ行く前には(大垣で)会いたい。
旧臘の雪の句:底冷えやいつ大雪の朝ぼらけ(此筋)・雪の夜や布子かぶれば足の先(千川)、などの句を指しているのであろう。「旧臘」は去年の12月を指す。
歳旦等かねて如行版木に御入れ候:如行編集の歳旦帖などに印刷されたあなたがたの句。これは私はまだ見ていないけれど、とつづく。この兄弟の句と芭蕉の「薦を着て・・・」の句は同時に版木で掘られたのであろう。
させることも:改めて言うほどのことも無いが・・・、転じて、大した傑作というわけでもないが、の意となる。それを敢えて歳旦帖に提出したのには訳があるというのである。
『撰集抄』::この時代には、この書物は西行の作と信じられていたらしい。高僧伝・説教集。
愚眼ゆゑよき人見付けざる悲しさに:世間の人々は物事を見通す力が無いものだから、ここに西行上人などを引っ張り出して理を説明するのだけれど、の意。
「薦被りを引付の巻頭に何事にや」と申し候由:京都の俳人達は、如行編集の歳旦帖の引付巻頭にこの「薦を着て・・」の句を載せるなど非常識の極みだといっているそうだが、このように何も分かっていないのは困ったことだ。
ここに、「引付」とは、歳旦帖に付ける招待句で、「巻頭」はその第一句。
「例の通り京の作者つくしたる」:いつものように、京都には人物が絶えて居ない、の意。
沙汰人々申すことに御座候:物事が分かっている人たちは、「例の通り京の作者つくしたる」と言っている。
三つ物:歳旦帖を「発句・脇・第三」と3句を連句の形式としたものがあった。
分限相応の心につとめたる句:人々それぞれの才覚に合せて精一杯作り上げた句
重くれず持つてまはらざるやうに:格式ばって、内容空疎なのに持って回ったような句。芭蕉の「軽み」の提唱である。
版行に入るるに困りはて候:ここに書き記した句を、江戸に持っていかないように、江戸では著作権を侵害して、無断で出版されてしまって困るから。
別屋御拝領の由:部屋住みの千川が婿に行って、身が固まったことを言うのであろう。この時代、下級武士の次三男坊は身の振り方に困っていた。一番の幸運が同じ程度の身分の家の婿入りであった。
市右衛門様:大垣蕉門の残香。