- 芭蕉db
夏野の画讃
(天和3年夏)
- 笠着て馬に乗りたる坊主は、いづれの境より出でて、何をむさぼり歩くにや。このぬしの言へる、これは予が旅の姿を写せりとかや。さればこそ、三界流浪の桃尻*、落ちてあやまちすることなかれ。
(うまぼくぼく われをえにみる
なつのかな)
-
文集へ 年表へ
-
馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな
画讃として書いた一文。甲州の郡内地方(都留市辺りか?)。冬の寒さとはうってかわって夏の暑さは相当なもの。その暑さの中をぐったりしたように馬が歩く。それに乗っている半僧半俗の坊主姿の馬上の男。いかにも危なっかしい姿で馬上にいる。その馬上の男こそ、作者自身だ。
なお、この句は相当の「苦吟」の末のものらしく、以下のように推敲に推敲を重ねている。
馬ぼくぼく我を絵に見ん夏野哉 (真蹟短冊)
夏馬ぼくぼく我を絵に見る茂り哉 (蕉翁句集草稿)
甲斐の郡内といふ処に至る途
中の苦吟
夏馬ぼくぼく我を絵に見る心哉 (俳諧一葉集)
夏馬の遅行我を絵に見る心かな (俳諧一葉集)
天和3年、芭蕉40歳のときの作。この年9句が記録されている。
大月市猿橋町藤崎久保にある句碑(牛久市森田武さん提供)
桃尻:不安定な乗馬の姿勢。乗馬の下手。馬から落ちるだけではなく、三界から踏み外したら何処へ行けばよいのか分からなくなってしまう。なお,「三界<さんがい>」とは、一切衆生(しゆじよう)の生死輪廻(しょうじりんね)する三種の世界、すなわち欲界・色界(しきかい)・無色界。衆生が活動する全世界を指す。(『広辞苑』より引用)