芭蕉db
(延宝8年冬または延宝9(天和元)年 38/9歳)
深川三股*のほとりに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪*を望み、近くは万里の船*を浮ぶ。朝ぼらけ漕ぎ行く船のあとの白浪*に、あしの枯葉の夢と吹く風も*やや暮れ過ぐるほど、月に坐しては空しき樽をかこち*、枕によりては薄きふすま*を愁ふ。
(ろのこえ なみをうってはらわたこおる よやなみだ)
草庵の冬の夜、凍てついた川面をわたってくる舟の艪の音は、腸にしみるような悲しさも伝えてくる。この時代、俳諧師としてはそれなりに食えたかもしれない芭蕉だが、後の俳聖と呼ばれる境地には程遠い。ここでの寒夜は東西の古典の勉強に余念が無かったのであろう。人生40年の時代にひたすら勉強中の芭蕉が想像される。
この句は、『真蹟短冊』には「の」の字が消えて、
となっている。
なお、延宝8年には全部で17句が現存する。
芭蕉庵跡と言われる芭蕉記念館別館屋上から見た「三股」の風景。
左側小名木川、正面隅田川に架かる清洲橋。
大川の下流を臨む。ウォーターフロント開発で往時のおもかげは皆無。