芭蕉db

猿雖(惣七)宛書簡

(貞亨5年4月25日 芭蕉45歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 大坂までの御状忝拝見*、此度南都之再会*、大望生々の楽ことばにあまり*、離別のうらみ筆に不尽候。わがたのもし人にしたる奴僕六*にだに別れて、いよいよおもきもの打かけ候而、我等一里来る時は人々一里可行や、三里過る時はをのをの三里可行や*、いまだしや、梅軒何がし*の足の重きも、道づれの愁たるべきと墨売*がをかしがりし事ども云々、石の上在原寺*、井筒の井の深草生たるなど尋て、布留の社に詣*、神杉など拝みて、声ばかりこそ昔なりけれと*、詠し時鳥の比にさへなりけるとおもしろくて瀧山*に昇る。帝の御覧に入たる事、古今集に侍れば*、猶なつかしきまゝに二十五丁わけのぼる。瀧のけしき言葉なし。丹波市*、やぎ*と云所、耳なし山*の東に泊る。

時鳥宿かる頃の藤の花

と云ひて、なほおぼつかなきたそがれに哀れなるむまや*に至る。今は人々旧里にいたり*、妻子童僕の迎て、水きれいなる水風呂に入て、足のこむらをもませなどして、大仏法事の咄とりどりなるべき。市兵衛*は草臥ながら梅額子*に巻ひけらかしに可行、梅軒子は孫どのにみやげねだられておはしけんなど、草の枕のつれづれに、ふたり語り慰みて*、十二日、竹の内いまが茅舍*に入る。うなぎ汲入たる水瓶もいまだ残りて*、わらの筵の上にてちや酒もてなし、かの布子売たしと云けん万菊のきるものあたひは彼におくりて過る*、おもしろきもおかしきもかりの戯にこそあれ、実のかくれぬものを見ては*、身の罪かぞへられて、万菊も暫落涙おさへかねられ候。
当麻に詣て*、萬のたつときもいまを見るまでの事にこそあなれと*、雨降出たるを幸にそこそこに過て、駕籠かりて太子*に着く。誉田八幡*にとまりて、道明寺*・藤井寺*をめぐりて、つの国大江の岸に舎る*。いまの八間屋久左衛門あたり也。

かきつばた語るも旅のひとつかな    愚句

山路の花の残る笠の香         一笑

朝月夜紙干板に明そめて        万菊

二十四句にて止。
十九日あまが崎出舩*。兵庫に夜泊。相国入道の心を尽されたる経の嶋*・わだの御崎*・わだの笠松・だいり屋敷*・本間が遠矢を射て名をほこりたる跡などききて*、行平の松風・村雨の旧跡*・さつまの守*の六弥太と勝負し玉ふ旧跡かなしげに過て、西須磨に入て、幾夜寝覚ぬ*とかや関屋のあとも心とまり、一ノ谷逆落し・鐘掛松・義経の武功おどろかれて、てつかひが峰にのぼれば、すま・あかし左右に分れ、あはぢ嶋。丹波山、かの海士が古里田井の畑村など、めの下に見おろし、天皇の皇居はすまの上野と云り、其代のありさま心に移りて、女院おひかかえて舟に移し、天皇を二位殿の御袖によこだきにいだき奉りて、宝剣・内侍所あはただしくはこび入、あるは下々の女官は、くし箱・油壷をかかえて、指櫛・根巻を落しながら、緋の袴にけつまづき、ふしまろびたるらん面影、さすがにみるここ地して、あはれなる中に、敦盛の石塔にて泪をとどめ兼候。磯ちかき道のはた、松風のさびしき陰に物ふりたるありさま、生年十六歳にして戦場に望み、熊谷に組ていかめしき名を残しはべる。その哀、其時のかなしさ、生死事大無常迅速*、君忘るる事なかれ。此一言梅軒子へも伝度候。すま寺の淋しさ、口を閉ぢたる斗に候。蝉折・こま笛・料足十疋、見る迄もなし。この海見たらんこそ物にはかへられじと、あかしより須磨に帰りて泊る*
廿一日布引の瀧にのぼる。山崎道にかかりて、能因の塚・金龍寺の入相の鐘を見る。花ぞちりけるといひし桜も若葉に見へて又おかしく、山崎宗鑑やしき、近衛どのの、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばたと遊しけるをおもひ出て、

有がたき姿おがまんかきつばた

と心の内に云て、卯月廿三日京へ入る。

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三月十九日伊賀上野を出て三十四日、道のほど百三十里、此内舩十三里、駕籠四十里、歩行路七十七里、雨にあふ事十四日。
瀧の数 七つ 「龍門「西河「蜻めい「蝉「布留「布引「箕面
古塚 十三
 兼好塚 哥塚 乙女塚 忠度塚 清盛塚 敦盛塚 人丸塚 松風村雨塚 通盛塚 越中前司盛俊塚 河原太郎兄弟塚 良将楠が塚 能因法師塚
峠 六つ
 琴引  臍峠 小仏峠 くらがり峠 岩や峠 樫尾峠
坂 七つ
 粧坂 ぢいが坂 うばが坂 宇野坂 かぶろ坂 不動坂 小野坂
山峯 六つ
 国見山 安禅嶽 高野山 てつかいが峯 勝尾寺ノ山 金龍寺ノ山
此外橋の数、川の数、名もしらぬ山々、書付にもらし候。 以上
   卯月廿五日               万菊 桃青
  惣七様

書簡集


 猿雖<えんすい>に宛てた書簡。これ自体が旅行記になっていて、『笈の小文』を補完するものとなっている。『笈の・・』では、文学的効果のために順序が変えられているが、これによって旅の順序が明白になってくる。
 本書簡中、平家物語に関わる部分は『笈の小文』の「明石夜泊」と重なり、いわば下書き原稿でもある。書簡の形式を取ってはいるが、『更科紀行』や「鹿島紀行」などと分量的には匹敵する。旅の全旅程や地形が記録されていて経路がよく分るので『笈の小文』後半の経路の検証に極めて参考になる。