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尾花沢 元禄2年5月17日〜27日)尾花沢にて清風*と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず*。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る*。
(すずしさを わがやどにして ねまるなり)
(はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)
(まゆはきを おもかげにして べにのはな)
(こがいする ひとはこだいの すがたかな)
弘誓山養泉寺(写真提供:牛久市森田武さん2002年8月)
尾花沢養泉寺にある「涼しさをわが宿にしてねまるなり」の句碑(写真提供:牛久市森田武さん2002年8月)
水海道市亀岡報国寺境内の句碑(同上)
天童市下荻野旧山寺街道にある句碑(同上)
富めるものなれども、志いやしからず:この文章からすると、「芭蕉は富める者はその志が卑しい」と考えていたようにおもわれる。『徒然草』18段参照。
日比とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る:<ひごろとどめて,ちょうどのいたわり,・・>と読む。芭蕉のこの旅の第一の目的地は、西行ゆかりの平泉であった。その目的を達し、くわえて清風のもてなしは下へも置かないものであったから、芭蕉主従にとっては実に幸福な気分でもあったのである。
蚕飼する人は古代のすがた哉:養蚕に励む農民の姿は実に質素簡素で、古代の農民の姿が偲ばれることだ。
全文翻訳
尾花沢では清風を訪ねた。清風は、金持ちだが、その心持ちの美しい男である。都にもしばしば行き、それゆえに旅の情をもよく心得ている。数日間泊めて長旅の疲れを労ってくれ、またさまざまにもてなしてくれた。
涼しさを我宿にしてねまる也
這出よかひやが下のひきの声
まゆはきを俤にして紅粉の花
蚕飼する人は古代のすがた哉 曾良