許六に宛てた書簡。許六に画を教えられている模様。年末の面会予定の変更なども知らせている。また、追伸では許六の句の批評も記されている。
五枚見事に被レ成被レ下:<ごまいみごとにばされくだされ>と読む。5枚も見事に画を描いてくれて、の意。許六が芭蕉庵に来て、得意の画を描いて芭蕉に差し上げたのであろう。それを後からやってきた弟子たちにも分け与えた。
廿九日少隙入不定之事御座候間、御延引被レ成可レ被レ下候:<29にちすこしひまいりふじょうのことござそうろううあいだ、ごえんいんなされくださるべくそうろう>。29日は予定に少し未定の部分がありますので、計画を延期してくださいますように、の意。
拙者も何にても書置候而、可レ掛二御目一候:<せっしゃもなににてもかきおきそうろうて、おめにかくべくそうろう>と読む。私も(画を)描いておいて、お目にかけたいと存じます、の意。
乍レ去書捨少々奉レ頼候:<さりながらかきすてしょうしょうたのみたてまつりそうろう>と読む。(画)を少し描いてきてほしいと言うのか?。
先以宗波戸を入候て、御絵一入に相見え忝かり候而御座候:<まずもってそうはとをいれそうろうて、おんえひとしおにあいみえかたじけなかりそうろうてござそうろう>と読む。「宗波」は芭蕉庵の近くに住む僧侶。乞食の境涯で生きていた人で、芭蕉とは随分入魂であったようである。「戸入れ候て」とは、一生懸命の意味か? 宗波も芭蕉と共に許六の指導で画を勉強し始めたのであろう。
池のかも等類がましき事御座候間、御用捨可レ被レ成候:<いけのかもとうるいがましきことござそうろうかん、おもちいすてなさるべくそうろう>と読む。池の鴨というのは、いかにも類型的ですので、放棄されたほうがよいと思います、の意。