深川芭蕉庵から江戸在勤中の膳所藩士怒誰に宛てた書簡。御歳暮として杉原紙を贈呈されたことに対する謝辞。
御芳墨、殊杉原一束歳暮嘉義(儀)被レ懸二賢慮一、辱奉レ存候:<ごほうぼく、ことにすぎはらいっそくせいぼがぎけんりょにかけられ、かたじけなくぞんじたてまつりそうろう>と読む。「歳暮嘉」は歳暮賀、「杉原」は播磨の杉原村で作られた奉書紙のこと、一束は200枚。これをお歳暮として怒誰が前便で届けてきたのであろう。
一昨日早々、乍二御残多一談話春に残候も可レ為二珍重一候哉:<いっさくじつそうそう、おのこりおおきながらだんわはるにのこしそうろうもちんちょうたるべくそうろうや>と読む。一昨日の会ではもっとお話をしたかったのですが、早々にお別れし残念でしたが、これも正月に回したと考えれば結構ですね、の意。
田西へ御手紙被レ遣候:<たにしへおてがみつかわされそうろう>と読む。田西に御手紙を届けられたようですが、の意。「田西」なる人物については不祥。ただし、この男は珍碩と一緒にこの日は江戸市中に梅の花を買いに行っていることから、怒誰と珍碩両方の知合いということになる。膳所の人か。
早春可レ得二御意一候条、及二早筆一候:<そうしゅんぎょいをうべくそうろうじょう、そうひつにおよびそうろう>と読む。お正月になりましたら又お会いしますので、今日のところは早々、の意。