芭蕉db

山岸半残宛書簡

(貞亨2年1月28日)

書簡集年表Who'sWho/basho


一の文

                  芭蕉子

半残*雅丈          正月28日

御細簡辱致拝見*。御清書*請取申候。先日了簡残り候句共*、残念に而、其後色々工夫致候而、大かたは聞きすゑ、珍重に存候へ共、少づゝのてには不通所共*、愚意に落不申候*。句々、秀逸妙々の所、難捨所々有之候へ共、しかと分明ならず候間、御残多、江戸迄持参、彼是にもきかせ可申候*
△ 海士の蚊屋、蛍の夜と申所に而聞まがひ(紛)*
△ 京の砧、御講釈之上に而あらかたきこへ申候。是はさも可
御座候か。
一、禰宜が桜は、しかも珍重秀逸に候。祇園か賀茂などに而有之候へば名句に可有候。一ノ宮ノ景気移兼候而、判残候*

禰宜独人は桜のまばら哉*

(ねぎひとり ひとはさくらの まばらかな)

と申に而、一ノ宮の景気は盡候はんか。され共句の景ははるかにを(お)とり申候。
 
 

二の文

△ あれをのこ*、自他明に難聴候。自分の句に云究候はゞ秀逸たるべく候*
△ 帰路、
横に乗ていづく外山の花に馬子珍重珍重。風景の感、春情尽し候。
△ 夜話四睡*、これまた珍抄(妙)。一躰おとなしく候。其外二句、とくと追而考可
申候。先判詞むつかしく、氣の毒なる事*多御座候故、点筆を染申事*はまれまれの事に御坐候間、重而御免被成被下候。
一、江戸句帳等、なまぎたへ(生鍛)なる句、或は云たらぬ句共多見え申候ヲ、若手本と思召御句作被成候はゞ、聊ちがひも可御坐候。みなし栗なども、さたのかぎりなる句共多見え申候。唯李・杜・定家・西行等の御作等、御手本と御意得可成候*。先此度之御句共、江戸へ持参候而、能句帳も出来候はゞ加入可申候*。御了簡も御坐候はゞ、尤延引可仕候*

書簡集年表Who'sWho/basho


 この日(貞亨2年1月28日)、芭蕉は、『野ざらし紀行』の旅の途次伊賀上野赤坂町に滞在中。山岸半残は伊賀蕉門成立の立役者の一人。その半残が自分の俳句を芭蕉に見てもらった。その芭蕉の審査報告がこの書簡である。どうやら、二人は正月初めにか会っていて、そのとき半残は自作の句を持参し、添削してもらったのであろう。それを参考にして半残は、再度改訂して芭蕉に提出した、それにに対する回答がこの書簡のようである。
 ところで、半残も同じ上野玄蕃町<げんばちょう>に住んでいたとされているから、二人は目と鼻の先にいたことになる。それなのに手紙のやり取りをしているところから、半残はこの時は他国にあって、この手紙は留守宅に届けられたのであろう。
 末尾に、俳諧研鑚のための参考書として『虚栗』など、当代出版の句集には「なま鍛え」のものなども多く含まれているから参考にしてはならない、李白・杜甫・定家、西行に学べというのは、基礎基本に忠実な芭蕉の面目躍如である。