鯉屋方頼候而啓上仕候:<こいやかたたのみそうろうてけいじょうつかまつりそうろう>。「鯉屋」は杉風の屋号。そこの飛脚便を使ったのである。
御立漸々近寄候而御心忙敷可レ有二御座一と奉レ存候:<おたちようようちかよりそうろうておこころいそがしくござあるべきとぞんじたてまつりそうろう>と読む。呂丸のために上京の日が近づいてご多忙のことと存じます、の意。
和合院より之状当月五日到来之由、今日愚庵へ相達し候:<わごういんよりのじょうとうげつ5にちとうらいのよし、きょうぐあんへあいたっしそうろう>。「和合院」は羽黒山別当会覚阿闍梨のことで、この僧侶とはやはり『奥の細道』で羽黒山で会っている。そして呂丸はその折の仲介者の役割を果たしていたのである。その和合院もまたたまたま京都に居て呂丸の死に立ち会ったのである。和合院から3月5日に江戸の何処かに届いた書状が今日10日に芭蕉庵に届けられた。それを公羽にこうして回送しているのである.この和合院からの書状で呂丸の死は明確になったに違いない。
具に申参候間御覧被レ成、則此状御持参被レ成:<つぶさにもうしまいりそうろうあいだごらんなされ、すなわちこのじょうごじさんなされ>と読む。これで事態ははっきりしたので、この書状を必要な人に見せて・・・、呂丸の死を知らせたらよいと言うのであろう。
貴下御取置被レ成可レ被レ下候:<きかおとりおきなされくださるべくそうろう>と読む。貴方がまず御取下さい」というのだが何を取るのか不明。多分、芭蕉が描いた短冊で去来直伝の俳画が描かれていたのであろう。