芭蕉db

向井去来宛書簡

(元禄7年8月9日)

書簡集年表Who'sWho/basho

 三文字屋便の御芳翰*並江戸・大津之状共*御届、是又辱令存候。愈々御無事之旨、珍重不浅存候。御一家別条不相聞目出度令存候。拙者、 先無為に*罷有候。頃日は少々冷

この間、脱落)

素牛*・丈草*、相変事無御座候や。
爰元*、度々会御座候へ共、いまかるみに移り兼、しぶしぶの俳諧、散々の句のみ出候而致迷惑*。此中脇二つ致候*間、懸御目候。

○ をりをりや雨戸にさはる荻の声

(おりおりや あまどにさわる おぎのこえ)

放すところにをらぬ松虫

(はなすところに おらぬまつむし)

○ 荒れ荒れて末は海行く野分かな

(あれあれて すえはうみゆく のわきかな)

鶴の頭をあぐる粟の穂

(つるのかしらを あぐるあわのほ)

「鶴」は、常体の気色に落ち申すべく候や*
一、大坂より、つひに一左右これ無く*、さてさて不届者ども。さながら打ち捨て候も、おとなしからず*と存じ候て、頃日これより洒堂まで案内いたし候へば、車要*かたより、「早々待ち申す」などと申し来たり候。一円*心得がたく候あひだ、名月過ぎ、まづ参宮と心がけ、九月の御神事*拝み申すべくと存じ候。素牛など伊勢の出合ひ所望に候はば、ひそかにその旨心得られ候やうに、御伝へなさるべく候。ここもと、国司帰城*、どこやら事やかましく候あひだ、おつつけ他郷へ移り申すべく候。
一、高橋条助殿*、御上り、御語りのよし、なつかしく存じ候。曲水子、無事と存じ候。年内いま一度参会、かたく契り置き候。これらの人々、すぐれたる器にて候。なほ重ねて申すべく候あひだ、まづ、かくのごとくに御座候。
                         ばせを
  八月九日                     (書判)
去来雅丈
なほなほ、江戸へも書状つかはしたく候。重ねて御無心申し進じ申すべく候*。名月、この方にて山家を楽しむべく候。そこもと、御風流御座なさるべく候。

書簡集年表Who'sWho/basho


 京都の去来亭から、松尾家盂蘭盆会に参列すること、また松尾家裏庭に伊賀蕉門の門人達が草庵「無名庵」をつくり夏中をここで過した。寿貞尼の新盆でもあった。「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」、「家はみな杖に白髪の墓参り」と詠んだのはこの節であった。
 この書簡は、去来から来た書簡に対する返書の形で書かれている。伊賀では門人達が「軽み」をまだ修得していないこと、大坂に出ようとしているが、どうも大坂では内紛などがあって連絡がうまくつかないことなど、いらいらが見える。芭蕉の健康が徐々に悪化し始めていたであろう時期の書簡である。