芭蕉d

おとめ(羽紅)宛書簡

(元禄3年9月末頃 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


   おとめさま
       まゐる
此ほどは加生老*・去来御みまひ*、御たいぎながらゆるゆると名残をおしみ、よろこびかぎりなくぞんじまゐらせ候。ふゆのうちは山ふかき方へかくれまいらせ候*。春になり候て、またまた御めにかヽり申べく候。なかなかの御なさけどもわすれがたきのみ、申しつくしがたく候。きるものどもよろしく御こしらへ、さむくも御ざあるまじく候*。御きづかい被成まじく候。御ぶじに春を御まちなさるべく候。
 よひよひはかまたぎるらんね所の

 みつの枕もこひしかりけり*

尚々ていどの*無事に御そだてなさるべく候。よし*にもはるか申上候。

 凡兆の妻とめ宛の書簡。日付を欠くが、膳所で書いたものらしいので限りなく元禄3年9月28日に近い書簡であると見られている。とめは、後に元禄4年春には僧籍に入って羽紅と名を改めるが、この書簡はおとめ宛になっている。
 とめが芭蕉に作ってあげた冬用の着物の御礼が記されている。この頃の凡兆夫婦と芭蕉の強い結びつきが読み取れる。後に不幸な関係になる両者であったが、この時期はまだその萌芽も無い。