- 芭蕉
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紙衾の記
(元禄2年9月)
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- 古き枕、古き衾*は、貴妃が形見より伝へて、恋といひ、哀傷とす。錦床の夜の褥の上*には、鴛鴦*をぬひものにして、二つの翼にのちの世をかこつ。かれはその膚に近く、そのにほひ残りとどまれらんをや、恋の逸物とせん、むべなりけらし。いでや、この紙の衾は、恋にもあらず、無常にもあらず*。蜑の苫屋の蚤をいとひ*、駅の埴生のいぶせさを思ひて*、出羽の国最上といふ所にて、ある人の作り得させたるなり。越路の浦々、
山館・野亭の枕の上には、二千里の外の月をやどし*、蓬・葎の敷寝の下には、霜に狭筵のきりぎりす*を聞きて、昼はたたみて背中に負ひ、三百余里の険難をわたり、つひに頭を白くして、美濃の国大垣の府に至る。なほも心の侘びを継ぎて*、貧者の情を破ることなかれと*、これを慕ふ者にうちくれぬ
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一心不乱に按摩に精を出す竹戸(与謝蕪村「奥の細道画巻」逸翁美術館所蔵)
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現代人から見ると、なんとも薄汚いものをプレゼントするものだと驚いてしまう。奥の細道の旅を終えた芭蕉は
、終着大垣の門人如行宅に長旅の草鞋を脱いだ。このとき、門人竹戸(ちくこ)がマッサージをしてくれた。竹戸の按摩が余程芭蕉を慰めたと見えて、山形で贈られて、奥の細道で愛用した紙衾を竹戸に与えた。それにつけた一文がこれ。
この件については、後日談がある。師の存在感のある記念品をもらった竹戸は大いに喜んで、
首出してはつ雪見ばや此衾 竹戸
と詠んだ。
傍で見ていた曾良は、それは自分が欲しかったのだと言って、次の句を詠んだ。
たたみめは我が手のあとぞ紙衾 曾良
また、越人は、
此ふすまとられけむこそ本意なけれ 越人
と詠んだという。実にいい話だ。
- 衾:ふすま。紙衾。紙を外皮にして中に藁を入れた粗末な布団。ここでは旅行用夜具。玄宗皇帝は楊貴妃の死後、妃が使った枕や衾をこよなく愛したと伝えられる。爾来
、枕や衾は、恋や愛惜のシンボルとなった。
- 錦床の夜の褥の上:<きんしょうのよるのしとね>と読む。
- 鴛鴦:<えんおう>と読む。おしどりのこと。夫婦仲のよいことの象徴として古来使われるが、おしどりは終生つがいを形成するとするのはエソロジカルには嘘のようだ。ともあれ、つがいの鴛鴦を夜具の模様に刺繍して、後の世には比翼の鳥ともなろうと願う人もいた。
- 無常にもあらず:玄宗皇帝の「しとね」の衾のように、人の死に関わる話ではない、の意。
- 蜑の苫屋の蚤をいとひ:貧しい漁師の家に泊めてもらったときに、蚤に食われるのを防ぐこと。
- 駅の埴生のいぶせさを思ひて:<うまやのはにゅうの・・>と読む。駅は宿駅で宿場のこと。埴生はここでは埴生の小屋で、貧しくて土間に寝るような家のこと。「いぶせさ」はうっとうしいこと。
- 山館・野亭の枕の上には、二千里の外の月をやどし
:<さんかん・やていのまくらのうえには、にせんりのほかの・・>山中や、貧しい旅館にとまるときには、遠く2千里の外の月の下であり、そんな時にはこの紙衾をを使い、の意。「二千里の外」は『東関紀行』の引用。遥々来た遠くの世界を言う。
- 蓬・葎の敷寝<よもぎむぐらのしきね>の下には、霜に狭筵<さむしろ>のきりぎりす:「きりりりす鳴くや霜夜の狭筵に衣かたしきひとりかも寝む」『新古今和歌集』を引用。きりぎりすはコオロギのこと
。
なほも心の侘びを継ぎて:芭蕉の「わび」の精神を受け継いでくれ、ということ。
貧者の情を破ることなかれと:「貧者」は芭蕉自身のこと。
私の意志をちゃんと理解して欲しい、の意。