芭蕉db

意専宛書簡

(元禄5年12月3日 芭蕉49歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


 一、七月ごろいづ方やらの便りに御状到来*、愈御無事に御入被成候哉。卓袋が赤味噌のとろゝ汁もなつかしく罷成候*。京屋ぬき味曽(噌)くはるゝ時節に罷成候*。御客人御息災に御座候哉、御噂たのみ候*
一、車坂屋山の方に草罨御結被成候に付、号可申よし、則存寄候間書付申候*
  東の方藪際の古家       東麓庵
  新罨定而西之方に付可申ト是    西麓庵
□たる様に覚申候。土芳に物ずき御究させ可下候*。御気に不入候はゞ、又改可申候。俳諧いかゞ被成候哉。土芳無油断勤候(哉)。殊に御噂可承候。

声かれて猿の歯白し峰の月   キ角

只今愚庵に承り候

鶏やほだ焚く夜の火のあかり   珍碩

塩鯛の歯ぐきも寒し魚の棚(店) 愚句

取紛候間、早筆。卓袋参り候はゞ御かたり可下候*。さても人にまぎらされ、こゝろ隙無御座*。 以上

 江戸から伊賀上野の猿雖こと意専宛書簡。猿雖が草庵を結びその庵号を芭蕉に願い出たのは7月頃のことだったという。これに応える形で書いた書簡。