菊の香や奈良には古き仏たち
(きくのかや ならにはふるき ほとけたち)
重陽の節句の今日、奈良の都は菊の香に包まれている。その中に幾千の古い仏たちも包まれている。なんともにおいやかな秀句。
奈良称念寺の「菊能香也奈良爾盤婦留幾佛達」句碑(牛久市森田武さん撮影)
菊の香や奈良は幾世の男ぶり
(きくのかや ならはいくよの おとこぶり)
前句が俗世を離れた仏像の世界であったのに対して、この句では世俗的な「男風流」が呼び出されている。もちろん「おとこぶり」として登場してくる人物は『伊勢物語』の主人公在原業平朝臣をおいて無い。あるいは業平を模した菊人形でも見たか?
ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿
(ぴいとなく しりごえかなし よるのしか)
芭蕉一行は、9月9日に奈良に着き、夜中に猿沢の池のほとりを散策した。一句はそのときの夜陰に見えない鹿の尻声を切り取ったものである。
もつとも遅速御座候へども:順序不同に伊賀へ着いた。当時の手紙はパケット通信のようなもので、先に出した手紙が早く着くとは限らなかった。
おさん女、祝言:杉風の次女おさんがこの頃(元禄7年9月)、泰地<やすじ>忠兵衛と結婚することになっていた。
いまだ句体定めがたく候:句の推敲が終ってはいないので、他人には見せないで欲しい。
そこもと両替町か駿河町酒店にて、稲寺十兵衛と申す者、ここもと伊丹屋長兵衛店にて候あひだ、早々御左右承りたく候:江戸の両替町あたりの駿河屋酒店の稲寺十兵衛は、大坂の伊丹屋長兵衛酒店の出店だから、そこの飛脚便を使って手紙を呉れというのである。
子珊、秋の集もよほされ候や:子珊は、撰集を編纂し始めてでしょうか、と尋ねている。この計画は実行されなかったらしい。子珊については、Who'sWho参照。
さ候はば、ここもとの俳諧一巻下し申すべく候:秋の撰集を編集すというなら、こちらから歌仙一巻を送ってもよいがどうだろうか、というのである。
「師恩たつときすべきをわきまへ候へ」:桃隣に、芭蕉の指導に感謝の挨拶ぐらいするように、伝えて欲しい、というのである。桃隣は、師に対する感謝の表現が希薄だったのであろう。
俳諧にはかに変り上り候:桃隣の腕前は急に上がったと、上方では大層な評判であるという。