芭蕉db

杉山杉風宛書簡

(元禄7年9月10日)

書簡集年表Who'sWho/basho


 夏より七月までの御状、もつとも遅速御座候へども*、段々相違なく相達し候。ひさびさ伊賀に逗留ゆゑ、たよりも致さず候。心もとなく存ぜられ候。いよいよ御無事に御勤め、御家内相変ること御座無く候や、承りたく存じ候。おさん女、祝言*、当月中にて御座有るべくと推量申し候。さだめて御取り込みなさるべく候。さだめて首尾よく相ととのひ申すべくと、御左右*待ち入り候。
一、拙者、まづは無事に長の夏を暮し、やうやう秋立ち候て、頃日、夜寒むのころに移り候。いかにも秋冬のあひだつつがなく暮し申すべきやうに覚え候あひだ、少しも御気遣ひなさるまじく候。おつつけ参宮心がけ候ゆゑ、まづ大坂へ向け出で申すべく、去る八日に伊賀を出で候て、重陽の日南都を立ち、すなはちその暮れ大坂へ至り候て、酒堂かたに旅宿、仮に足をとどめ候。名月は伊賀にて見申し候。発句は重ねて御目にかくべく候。

菊の香や奈良には古き仏たち

菊の香や奈良は幾世の男ぶり

ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿

 いまだ句体定めがたく候*。他見なさるまじく候。おつつけ、ここもと逗留の句ども、御目にかくべく候。早々御状御越しなさるべく候。そこもと両替町か駿河町酒店にて、稲寺十兵衛と申す者、ここもと伊丹屋長兵衛店にて候あひだ、早々御左右承りたく候*。子珊、秋の集もよほされ候や*。さ候はば、ここもとの俳諧一巻下し申すべく候*。上方筋、『別座舗』『炭俵』にて色めきわたり候。両集とも手柄を見せ候。少しは、桃隣にも「師恩たつときすべきをわきまへ候へ」*と、御申しなし候べく候。桃隣、俳諧にはかに変り上り候*と、もつぱらの沙汰にて候。急便早々
                          ばせを(書判)
  九月十日
杉風様
なほなほ、四五日中に、またまたくはしく申し進じ申すべく候。まづ、大坂へ出で候を御知らせのため、早々申し残し候。

東大寺毘盧遮那仏(02/06/17撮影)

書簡集年表Who'sWho/basho


 芭蕉は、支考維然 (素牛)・次郎兵衛・末妹およしの婿松尾又右衛門を伴って、伊賀を元禄7年9月8日に出発して、9月9日の菊の節句は奈良で迎え、その足で10日大坂に入った。本書簡は大坂洒堂亭に旅装を解いた芭蕉が、江戸の杉風宛に移動したことを伝えたもの。この夜から芭蕉は急に発病し、この1ヶ月後に不帰の人になるのだが、文面からは健康は問題ないとしてあって、事態の深刻さは伺えない。なおこの日は去来宛書簡も執筆している。

菊の香や奈良には古き仏たち
(きくのかや ならにはふるき ほとけたち)

  重陽の節句の今日、奈良の都は菊の香に包まれている。その中に幾千の古い仏たちも包まれている。なんともにおいやかな秀句。


奈良称念寺の「菊能香也奈良爾盤婦留幾佛達」句碑(牛久市森田武さん撮影)

菊の香や奈良は幾世の男ぶり
(きくのかや ならはいくよの おとこぶり)

 前句が俗世を離れた仏像の世界であったのに対して、この句では世俗的な「男風流」が呼び出されている。もちろん「おとこぶり」として登場してくる人物は『伊勢物語』の主人公在原業平朝臣をおいて無い。あるいは業平を模した菊人形でも見たか?

ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿
(ぴいとなく しりごえかなし よるのしか)

 芭蕉一行は、9月9日に奈良に着き、夜中に猿沢の池のほとりを散策した。一句はそのときの夜陰に見えない鹿の尻声を切り取ったものである。

 


奈良春日大社境内の句碑(牛久市森田武さん提供)

もつとも遅速御座候へども:順序不同に伊賀へ着いた。当時の手紙はパケット通信のようなもので、先に出した手紙が早く着くとは限らなかった。

おさん女、祝言:杉風の次女おさんがこの頃(元禄7年9月)、泰地<やすじ>忠兵衛と結婚することになっていた。

御左右:<おんそう>と読む。事の次第を記した手紙のこと。

いまだ句体定めがたく候:句の推敲が終ってはいないので、他人には見せないで欲しい。

そこもと両替町か駿河町酒店にて、稲寺十兵衛と申す者、ここもと伊丹屋長兵衛店にて候あひだ、早々御左右承りたく候:江戸の両替町あたりの駿河屋酒店の稲寺十兵衛は、大坂の伊丹屋長兵衛酒店の出店だから、そこの飛脚便を使って手紙を呉れというのである。

子珊、秋の集もよほされ候や:子珊は、撰集を編纂し始めてでしょうか、と尋ねている。この計画は実行されなかったらしい。子珊については、Who'sWho参照。

さ候はば、ここもとの俳諧一巻下し申すべく候:秋の撰集を編集すというなら、こちらから歌仙一巻を送ってもよいがどうだろうか、というのである。

「師恩たつときすべきをわきまへ候へ」:桃隣に、芭蕉の指導に感謝の挨拶ぐらいするように、伝えて欲しい、というのである。桃隣は、師に対する感謝の表現が希薄だったのであろう。

俳諧にはかに変り上り候:桃隣の腕前は急に上がったと、上方では大層な評判であるという。