- 芭蕉db
立花牧童宛書簡
(元禄3年7月17日 芭蕉47歳)
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書簡集/年表/Who'sWho/basho
- 陰士秋之坊*閑居御とぶらひ、珍しく芳意を得、大慶仕り候。先づ以て御細翰かたじけなく、御無異の旨、珍重これに過ぎず候。去年頃日は、さかりとそこもとに罷り在り候*。一年の変化夢のごとくにて、ひとしほ御なつかしく存ぜられ候。大火*のあと、いまだ万々御心も静かなるまじく候。されども、頃日は乙州参り候に*、またまた会なども少々御座候よし、いよいよ御はげみなさるべく候。世間ともに古び候により*、少々愚案工夫これ有り候て*、心を尽し申し候。その段ほぼ乙州も心得申し候あひだ、御話なさるべく候。
- 拙者儀、山庵秋至り候ては、雲霧に痛み候て、病気にさはり候ゆへゑ、追つ付け出庵致し、名月過ぎには、いづかたへなりとも風にまかせ申すべくと存じ候。さりながら、去年遠路に疲れ候あひだ、下血などたびたび走り迷惑致し候て、遠境羈旅かなはず候あひだ、東のかた近くへそろそろとたどり申すべきかとも存じ候*。無常迅速*のいとまも御座候はば、またまた重ねて御意を得候事も御座有るべく候。随分御無事に、御勤めなさるべく候。諸善諸悪みな生涯の事のみ*。何事も何事もお楽しみなさるべく候。少し気むつかしく候*あひだ、早々貴報に及び候*。以上
七月十七日 ばせを
- 牧童様
- 貴存
- そこもとにて書き申し候物は、御焼きなされず候由*、米櫃は焼け申すべきにと存じ候。このたび、一二枚書き進じ候。急々書き候て、例の通り見苦しく候。 以上
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- 元禄3年7月17日付の金沢の門人牧童に宛てた書簡。まだ、幻住庵にわび住いしているときのもの。しきりと、「軽み」についての理解を求めている。
なお、追伸の揮毫の焼けずにあった下りは面白い。
陰士秋之坊:Who'sWho参照。この秋之坊が、牧童の書簡を持参して芭蕉閑居の幻住庵を訪ねたのであろう。
去年頃日は、・・:『奥の細道』で金沢に滞在中、牧童らをさかんに訪ねたものでしたね。
大火:金沢では元禄3年3月16日(ちょうど芭蕉が金沢を通過した半年後)に大火があり、市全域が焼失した。
頃日は乙州参り候に:先ごろ江戸蕉門の乙州が金沢を訪れた、そのときには大火の後にもかかわらず、句会を盛んに開いたというのである。金沢の裕福さが伺われるエピソードでもある。
世間ともに古び候により:元禄俳諧の停滞を指す。
愚案工夫これ有り候て:「軽み」の提唱を指す。
東のかた近くへそろそろとたどり申すべきかとも存じ候:岐阜の荊口一家を辿って越冬のつもりだったらしいのは、『此筋・千川宛書簡』に見える。しかし、持病の悪化などもあって実行できず、琵琶湖界隈で過す。年末は乙州亭で、翌春は郷里伊賀上野に滞在。
無常迅速:何もかも不定なことであってみれば、の意。以下に言うことのあてにならないことを暗示するために挿入。
諸善諸悪みな生涯の事のみ:善いことも悪いことも命あればこそです、の意。
気むつかしく候:体調が悪い、の意。
早々貴報に及び候:早々にご返事申し上げました、の意。
御焼きなされず候由:芭蕉が金沢で牧童に揮毫して上げたものは、あの街中が全焼するという大火の中でも焼けずにあったというのである。恐らく秋之坊が口頭でか、牧童の書簡に書いてあったかしたのであろう。それにしても大火の中で、米櫃まで焼いてしまったのに、芭蕉のサインは焼かずに大切にしていたのだろうから、如何に芭蕉の存在が大きかったかを示すエピソードである。