- 芭蕉db
猿雖宛書簡
(元禄2年3月 芭蕉46歳)
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書簡集/年表/Who'sWho/basho
- 去年の秋より心にかゝりておもふ事のみ多ゆへ、却而御無さたに成行候。折々同姓方へ御音信被レ下候よしにて、申伝へこし候*。さてさて御なつかしく候。去秋は越人といふしれもの*木曽路を伴ひ、桟のあやうきいのち、姨捨のなぐさみがたき折、きぬた・引板の音、しゝを追すたか*、あはれも見つくして、御事のみ心におもひ出候*。とし明ても猶旅の心ちやまず、
元日は田毎の月こそ恋しけれ はせを
彌生に至り、待侘候塩竈の桜、松島の朧月、あさかのぬまのかつみふく*ころより北の国にめぐり、秋の初、冬までには、みの・おはりへ出候。露命つゝがなく候はゞ、又みえ候て立ながらにも立寄可レ申かなど、たのもしくおもひこめ候。南都の別*一むかしのこゝちして、一夜の無常、一庵のなみだもわすれがたう覚、猶観念やまず、水上の淡(泡)きえん日までのいのちも心せはしく、去年たびより魚類肴味口に払捨*、一鉢境界*、乞食の身こそたふとけれとうたひに侘し貴僧の跡*もなつかしく、猶ことしのたびはやつしやつしてこもかぶるべき心がけにて御座候。其上能道づれ、堅固の修業、道の風雅の乞食尋出し、隣庵に朝夕かたり候而、此僧にさそはれ、ことしもわらぢにてとしをくらし可レ申と、うれしくたのもしく、あたゝかになるを待侘て居申候。
一、宗無老*御無事に御座候哉。何角に付ておもひ被レ出候。尚ゝ江戸御下被レ成候はゞ、節句過には拙者は発足仕候間、それまでに候はゞ懸二御目一度候。 以上
尚々再会のいのちも哉とねがひ申事に候*。
書簡集
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- 郷里伊賀上野の猿雖(窪田惣七)に宛てた書簡。『奥の細道』出発直前の気負いがこめられている。特に宗教的な乞食僧への傾斜が急速に表れているのが注目される。
折々同姓方へ御音信被レ下候よしにて、申伝へこし候:<おりおりどうせいがたへごいんしんくだされそうろうよしにて、もうしつたえこしそうろう>と読む。「同姓方」は伊賀上野の芭蕉の実家松尾半左衛門宅をいう。私の実家にご支援下さるとのことを実家より聞いております、の意。
越人といふしれもの:<えつじん>。「しれもの」は、風雅の人ぐらいの意味で、否定的な含意はない。名古屋の門人。『更科紀行』に随行した。Who'sWho参照。
しゝを追すたか:「鹿を追うすがた」の誤記か? 鹿を採集する様を言うのであろう。
御事のみ心におもひ出候:<おことのみ・・・>と読む。貴方のことが思い出されます、の意。
あさかのぬまのかつみふく:『奥の細道』参照。
南都の別:『笈の小文』の旅の途中奈良で芭蕉は伊賀から来ていた門人達と偶然逢った。その節の情景は先の猿雖宛書簡にも詳しい。
魚類肴味口に払捨:<ぎょるいこうみくちにはらいすて>と読む。肉食をしないこと。
一鉢境界:<いつはつのきょうがい>と読む。喜捨による托鉢を期待して生きる生き方。転じて乞食僧の境涯をいう。
乞食の身こそたふとけれとうたひに侘し貴僧の跡:増賀聖のこと。鴨長明『発心集』参照。
宗無老:伊賀上野の人。
尚々再会のいのちも哉とねがひ申事に候:生きて再会したいものと思っています。